◆ ロマ書の学び(149)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇六年七月二日号
         ▽ み言葉に生きる

 

 人間の作る平和、それは寄せ集めの平和であるから、当然、それぞれの利益誘導型になってくる。アフガン問題でも、アメリカとソ連とはぶつかり合ってしまっていた。平和を口にしながら、それぞれ自国の利益、そしてまた自分たちの国を考える時に、人間の考える産物は平和ではないのである。

肉の念(おもい)は死なり、霊の念(おもい)は生命なり、平安なり。<鴻}書八章六節

 私達は、古い性質、アダムからずっと引き継いだ人間のあるがままの生まれつきの性質では、神様に喜ばれることが出来ないことを、六章、七章で考えてきた。そして八章においては、私達はどうしてもイエス・キリストを信じ、心の中に神様の御言葉を受け入れ、神様の生命の力によって生かされなければならないことを見てきた。

 「肉の法則」ではなくして「霊の法則」、つまり神様の聖霊の中に生かされるということである。

キリストの御霊(みたま)なき者はキリストに属する者にあら ず。=@       ロマ書八章九節

 人間の肉の体は罪を犯しやすい。罪に大変弱く、生まれつき罪の種を持っている。そのため神様は、この体のままで、人間が神の御国(みくに)、天の御国に入ることをお許しにならない。この目に見える生命があなた本来の個性とは誰も思わないだろう。この体の中に宿るところの生命、霊の部分が実は人間の本当の人格、あなた自身といえる。

 糖尿病が悪化すると両足を切断する事がある。日本でも有名な歌手の村田英雄という人が足を切断した。または、美空ひばりも足を切断したと言うことを聞く。では、足がなくなったからその人はいなくなったかというと、そうではない。今では、心臓の移植まで出来る。人間の求めていくところは様々の臓器移植から、やがては脳の移植ではないかと思う。アインシュタインの脳はずっと保存されている。そのアインシュタインの脳を研究して自分達がこういう優秀な脳を持ちたいと願うかもしれない。しかし脳は、アインシュタインではない。アインシュタインと言う人は脳の中にいるわけではないのだ。

 私達は自分という者が何処にいるのか、腕、頭、目、耳の中か、それはわからない。けれども、神様の下さった霊なる生命、人格はやはり、神様の御言葉によって生かされなくてはならない。私達の人格そのものは、この罪に犯された肉の体から離れて、天の御国(みくに)に行くという時に、その人格そのものが新しい天にふさわしい体を与えられて、御国の住人となる。これが、コリント前書一五章における、復活の生命ということである。

   (続く)

 


◎ 暗誦聖句 ピリピ書四章一節C
かくのごとく主にありてかたく立て
 

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