◆ ロマ書の学び(150)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇六年七月九日号
         ▽ み言葉に生きる

 私たちの罪を背負い、身代わりとなって死んで下さったイエス・キリストを信じる人は、イエス・キリストの生命によって生かされる。私たちは、イエス様がおもちになっている永遠の生命をいただいている。これが、イエス・キリストの十字架を見上げて救われるという信仰の核心である。

 自殺をして自分が新しくなるかというと、そうではない。神様のご計画は、イエス・キリストを信じる者に、キリストがお持ちになる永遠の生命を与えてくださるというものである。二〇〇〇年ほど前、キリストは私たちの身代りとなって十字架上で死んで下さった。そして、イエス様の肉体は墓に葬られた。肉体はあくまで、霊の宿る場所である。

 この肉の体は、洋服みたいなものである。どんなに立派な洋服を注文で作っても、「ああ、ここに、だれそれがいる」とは言わない。裸であっても、その人本来の姿、その人を動かす原動力となるのが生命の力、人格である。イエス様のお持ちになる生命が私たちクリスチャンに転嫁される。「転嫁」とは神学用語であるが、「誰かが持っている物がそちらに移される」という意味で使う。八章の初めに勉強した「アカウント(account)」である。

 銀行のある口座から別の人の口座に移される、ということと同じである。私たちが払うべき借財をイエス様が払ってくださったので、私たちはイエス様にある自由と永遠の生命とをいただくのだ。イエス様を通して真の神様を信じる時に、私たちは創造主である真の神様に対して、「アバ父」「天のお父様」と呼ぶことが出来るようになる。クリスチャンがお祈りをする時に「天にまします我らの父よ。」という言葉ではじめる。この祈りは、日本人にとっては不思議な祈りであり、驚くような表現だと思う。なぜならば、日本人は怖(こわ)いもの、不思議なもの、目に見えない不思議な力を持つものを「神々」として崇(あが)めてきたからである。

 どこかの県では、「からっ風とおかみさん」が大変強いらしい。日本人は奢(おご)り立つ政府・役人、或いは時の権力者など高い位にある人たちを御上(おかみ)と呼んだ。どこかのテレビ小説のお巡りさんは「うちのかみさんはね・・・。」と言う。恐いもの、力の強いものに対して「おかみさん」と言う表現をするのである。
私たちが信じる神様は、そういう人間の力でも、恐れる対象でもない。私たちを愛し、見守り、必要を満たして下さる「天のお父様」でいらっしゃる。  (続く)

◎ 暗誦聖句 ピリピ書四章六節A
何事(なにごと)をも思い煩(わずら)うな


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