◆ ロマ書の学び(154)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇六年八月一三日号
         ▽ み言葉に生きる


 何から先に祈ってよいかわからず、「神様助けてください。」とか、「神様何とかしてください。」と祈ることもあろう。「何とかしてください」の中に含まれている言葉にならない色々なこと、箇条書きできないものも、神様は聖霊の執り成しによってわかって下さり、私たちに慰めをお与え下さる。たとえ言葉にならなくても、皆さんが心から神様に向かって「神様!」と、呼びかけて自分の心をさらけ出すなら、神様は、「私はあなたの苦しみ、あなたの求めが良くわかる」とおっしゃるのだ。

 私は、ガンの宣告を受けて、これから何年自分が生きられるか、手術も成功するかどうかわからない、という不安定な状態の時に、旧約聖書の言葉を思い起こした。イスラエルのヒゼキヤ王に対して神様は、ヒゼキヤが祈る前から「私はあなたの祈りを聞き、あなたの涙を見た。」とおっしゃった所である(列王紀略下二〇章五節)。あなたの悲しみ、悩みを知っていらっしゃる神様が、あなたの信じる神様なのである。だから、神様に祈る時に、美しい言葉や、やたらと文章を長くして祈ることが必要ではないのである。
イエス様は、マタイ伝の中で祈りの秘訣をお教えになられた。それがイエス様がお教えになった「主の祈り」で、その短い祈りの中に全ての要素が入っている。

天にいます我らの父よ、願わくは御名(みな)の崇(あが)められんことを。御国(みくに)の来(きた)らんことを。御意(みこころ)の天のごとく地にも行われんことを。我らの日用の糧(かて)を今日もあたえ給え。我らに負債(おいめ)ある者を我らの免(ゆる)したる如(ごと)く、我らの負債(おいめ)をも免(ゆる)し給え。我らを嘗試(こころみ)に遇(あ)わせず、悪より救いいだしたまえ。<}タイ伝六章九〜一五節

 四四年以上前になるが、ノース・カロライナ州へ、インネス先生が伝道にいく時に、一緒に車に乗せてもらった。インネス先生は白人たちに伝道し、私は黒人街に行って伝道をした。黒人の子供達が毎週二〇〇人くらい集まった。子供会を始めるときに、お祈りをしましょうかというと、何人もが手を挙げた。そこで一人をさすと、「天にいます我らの父よ」と主の祈りをとなえ始めた。それ以外は祈れないからと言うのである。私たちは、自分たちの直面している問題、苦しみ、必要を自分の言葉で自由に神様に祈ることが出来る。しかし、大きな悲しみのために言葉が出ない時、イエス様がお教えになった主の祈りを、自分の心からの祈りとして黙想してみよう。その短い言葉の中に祈りの全ての要素が入っている。             

         (続く)

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