◆ ロマ書の学び(155)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇六年八月二〇日号
         ▽ み言葉に生きる


 聖霊は私たちの慰め主である。他にもヘルパー(助け主)、カウンセラー、カンファター、ガイド等、色々な働きがある。聖霊の働きは、いつも私たちをイエス様にしっかりと結びつける働きなのである。イエス様に結びつくことなくして、聖霊の働きはありえない。聖霊の働きは、常に私達をイエス・キリストにしっかりと結びつける。そうでなければ、それは、「迷いの霊」「悪の霊」である。なぜならば、聖霊の働きは人間にイエス・キリストを信じさせ、イエス・キリストの御名が崇められる事を最大の目的として働かれるからである。真理の御霊、そしてまた私達の助け主。常に聖霊は私達の内側に宿ってくださり、私達が正しい道を歩くことが出来るようにしてくださる。

 「では牧師、聖霊を見せてください。」「はい、見せましょう。」というものではない。見せるものではないのである。これは神様の御言葉を信じて、そして自らが聖霊が内住して下さることを、神様のお言葉として、信じ受け入れるのである。私たちは心が心臓に宿るとよく言う。「心が痛む」ともよく言う。確かに誰かを好きになったり、試験の時には心臓がドキドキする。でも、心が考えているわけではない。考えているのは、頭なのである。聖書の中で、聖霊はあなたの頭に宿るとは書いていない。心臓は人間の命の一番大事なポンプ役で、心臓が止まればやがて命はなくなる。そういう意味で命の源であるところに聖霊が宿られると、象徴的に考えるのであろう。あなた本来の人格は、目には見えないのである。同じように聖霊の人格も私達の目で見ることは出来ない。しかし、聖霊の働きを見ることは出来るのである。

 電気を見たことがある人はいるだろうか。電気は目に見えない。ではどうやって電気の働きを生活に生かしているのであろうか。電球や電気器具がはたらくことを通して、確かに電気がそこを通っていることを知るのである。同じように、空気も目に見えない。だからといって、「空気は信じられない。」と言えるだろうか。空気がなければ、人間は生きられない。空気は実在する。

 「聖霊は目に見えない。だから私は信じない。」ではないのである。クリスチャン一人一人の心を通して、神様は聖霊の働きを見せてくださる。だから、暴力を振るったり、平気で万引きしたりする人に、「あれは聖霊の働きだ。」とは誰も言わない。悪魔の働きだからである。聖霊の働きは、神様に喜ばれることをクリスチャンの心を通して、目に見える形で表されるのである。(続く)

 


◎ 暗誦聖句   テサロニケ前書一章八節

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