◆ ロマ書の学び(159)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇六年九月二四日号
         ▽ み言葉に生きる


 私達はこれまでの辛かった事、嬉しかった事、あるいは友達に裏切られた事など、いろいろな経験を「これはいい訓練であった。私にとってすばらしい経験であった。」という風な感じでとらえると思う。自分の周りに半径一メートルの円を描いて、その中で自分のすべてを考えるというような感じである。

 このロマ書で大事なことは「神様のご計画」という事である。神様は、現在の皆さんに対してだけでなくして、将来、永遠という形において私達一人一人を扱って下さる。神様は今の必要のために皆さんをお造りになったのではない。これから先ずっと永遠に至(いた)るところの世界に、大きな目的を持って私達をそれぞれお救い下さった。その目的とは何か?御子イエス・キリストのお姿に象(かたど)らせ、似せようとしてお憐れみ下さったというのである。皆さんの自分で描いた自画像、自分の将来に対する理想像ではなく、神様は私達一人一人をイエス・キリストのお姿に似るようにとお選びになったのである。

 それゆえ、皆さんが経験してきた様々な痛みや悲しみの経験は、皆さんにとって利益というよりも、イエス・キリストのお姿に似るための永遠の目的の中にあっての経験であるのだ。私達はそこのところで間違えてしまい、自分にとってこの経験は大変すばらしい経験だと考えやすい。目に見える利益ということだけでなく、今辛い経験であっても、「これは神様の永遠の目的のために私がそこで使われているのだ。イエス様のお姿に似る者になるために神様が下さった大変大切な訓練なのだ。」と、受け止めていく事が非常に大事である。

 C・スポルジョンは若くして伝道を始めた時、健康状態が大変悪くなって、寝たり起きたりという状態が続いた。彼は気が狂うほどに精神的なストレスを感じた。そして肉体の痛み、病との闘いにおいて自分はもう立つ事ができないというような苦しみを味わったという。

 そんなスポルジョンが、疲れ果てた姿で講壇に立った時、後ろのほうで一生懸命話を聞いていた男性が、集会の後「先生、お話したいです。」と言って来た。「私が苦しんできた痛み、悲しみは、どんなに説明しても他の牧師には理解できないでしょう。けれどもスポルジョン先生、あなたなら私の苦しみを理解できます。」
五年後、彼はスポルジョン博士が元気になって学生達に講義をしている時にやってきた。彼は全く変わった姿で、元気な姿でスポルジョン博士の前に立ったそうである。                

  (続く)


◎ 暗誦聖句 テサロニケ前書二章一三節後半
これは誠に神の言(ことば)にして、汝ら信ずる者のうちに働 くなり

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