◆ ロマ書の学び(160)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇六年一〇月一日号
         ▽ み言葉に生きる


 彼はお礼を言いに来たという。「私はこの世界でただ一人、先生が私の立場を理解して下さるという事を知って本当に嬉しく思いました。私はあの苦しみから逃れ、今、本当に健康を与えられて、精神的にも霊的にも大変豊かな状態になりました。ありがとうございました。」

 スポルジョンは、若い伝道者に「あなたが経験しなかった事を、他の人たちに説教するな。」と教えた。あなたが経験していない事を他の人々に話しても、それは無益な事だと言ったのである。なぜならば私たちは、伝道者が本当に苦しみを経験したか、痛みを経験したかどうか、直感的にわかるからである。きれい事、模範的な説教を聞いても、私達は心を打たれることは少ない。やはり人間の悲しみや痛み、様々な苦しみの体験の中から出てくる、そうしたお話に心を奪われていくものである。

 神様には、皆さん一人一人をお救いになった目的がもう一つある。「永遠」という目的だけでなくして、「現在」この地上においてイエス様を信じる人たちがこの地方、地方における教会を形成するためである。イエス様を信じ救われた私達が、ここに集められて何をするのだろうか。それはイエス・キリストの身体としてご奉仕を続けていくということである。才能のある人も、あるいは才能がないように見える人であっても、どんな人であったとしても、イエス様のお身体の一部として大変重要な位置を占めることが書かれている。

 自分の身体を見て、切り取っても差し支えないと思う部位はどこであろう?誰かのために献体が必要だったとしたら、どこを取るだろうか?昔から私達は、おへそは役に立たないと考えてきた。ところが今、海外のロック歌手などは、わざとおへそを出して歌っている。日本の若い女性もそれを真似して、おへそを出して歩いている。これまでおへそは、醜く、役に立たないと考えられてきたが、今の医学では、おへそから細い管を通して内蔵の手術を行うために大変重要な器官として用いられている。また、赤ちゃんが生まれる時にお母さんの身体とつながっていたへその緒が、実は先端医療で使われている。

 小指もまた、大事な器官である。私は昔、剣道をやっていたが、剣道で大事なのは小指である。竹刀あるいは刀を持つ時、小指で調節する。小指は、普段大して役に立たないようにみえるけれども、しっかりと持つために必要なのだ。また、書道をやる人もお分かりだと思うが、小指は大変大事で、小指でしっかりと押さえるということがある。             

   (続く)

◎ 暗誦聖句 テサロニケ前書二章二〇節
實(げ)に汝らは我らの光栄、我らの喜悦(よろこび)なり
 

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