◆ ロマ書の学び(161)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇六年一〇月八日号
         ▽ み言葉に生きる


 私達はイエス・キリストの身体を構成するものである。神様はその構成員一人一人に目的を持ってタレントをお与え下さり、或は皆さん方にその力を発揮するように求めていらっしゃる。ここで大事なことは、どんなに音楽の才能があっても、他の技術的な才能があっても、心から喜んで神様におささげする思いがなければ、それは皆さんにとってむしろ災いとなる。神様が皆さんに才能をお与えになったのは、イエス・キリストの身体をしっかりと固めるためであり、神様の御栄えのためなのである。

 最近日本でもよく使われる言葉がある。それは結婚式のコオディネイターとか、パーティのコオディネイター、会社のコオディネイター等、「コオディネイター」という言葉である。「コオディネイター」というのは、全体をしっかりと見つめて、全体の中の一部分一部分を調整していくことである。やはり私達は、どんなに小さな集まりであっても、どんなに大きな集まりであっても、コオディネイターがいなければバラバラである。コオディネイターというと「そんな英語は難しくてわからない。」と、牧師に文句を言う人もいるかも知れないが、実は皆さん一人一人のことを神様はコオディネイトしていらっしゃるのだ。

 味噌汁をつくるのに、「お味噌を入れ、次に、醤油、砂糖、油、お酒、みりんを入れ、ついでにビールも入れちゃおう。」それで美味しい味噌汁が出来るだろうか?誰も美味しいとは言わないだろう。何故か。一つ一つの調味料の性質を理解してそれらを混ぜていない(コオディネイトしていない)からである。ヴァイキング料理を食べたことがおありだろう。一定の金額で九〇分食べ放題などといわれると、夢中になって食べるが、それで皆さんは満足するだろうか。腹が一杯になり、もう十分だと思いつつ、まだこっちを食べてないからといって取りに行く。結局外に出て「ゲエー」ということになってしまう。

 全然コオディネイトされていないから、普段家で食べられないような高級なものばかり選んで食べようとするわけである。私達も時々そういう所へ行って見ていると、子供が選ぶものはメロンだとかスイカだとかステーキなど、普段家で食べられないようなものである。確かに満腹にはなるが「あーおいしかった。」というよりも「あー、なんか気持ち悪い。食べ過ぎちゃった。」「どうしてそんなに食べたの?」「元を取らなきゃ。」となる。全然コオディネイトされていないのである。             

        (続く)

◎ 暗誦聖句  テサロニケ前書三章八節 

本ページへの問い合わせは ruthdick@mtj.biglobe.ne.jp までお願いします。