◆ ロマ書の学び(165)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇六年一一月五日号
         ▽ み言葉に生きる


 この週報をご覧になっている方で、「私は人生の重荷、痛みや苦しみを全然抱えていない。」という方は、そう多くはないだろう。どんなに幸せに見える家庭であっても、現在持っている喜び、安心、愛情がいつまで続くかは分からない。これが人間の社会だろうと思う。大変仲の良いご夫婦であっても、やがてはどちらかが、先にこの地上を離れていく。それまで仲良く過ごしていたご夫婦が、年老いてから一人残される時の苦しみ、寂しさ、心のうつろな状態というものは、人の言葉では癒すことが出来ない痛みではないかと思う。

 最近の統計では、日本は今六五歳以上の人が、一五歳前後の若者よりも多くなっているという。あと一〇年、二〇年経つと「大変お年を召した人たちの国」という形で、若者の姿があまり目につかない状態になってしまう不安がある。出産率はようやく底をついたようで、赤ちゃんが少し増えつつあるようだが、それでもまだ、日本はかなり年輩の人たちが多い社会になってきた。当然そこには経済的な苦しみ、或は家族の愛の絆が断たれる苦しみ、痛みというものが出てこよう。私たちが生きる限り、地上の生活の中で痛みや苦しみ、また試みに出会わない時は一時もないと思う。

 有名な説教者F・B・マイヤー博士は、蜂の幼虫を使った例話を書いている。「蜂の巣には、たっぷり蜂蜜がたまっている。蜂の幼虫は一匹ずつ、きれいな六角形のマスの中に入っている。そのマスの中にある蜜を全部食べ終わってしまうと幼虫は新しいエサを求めてその巣を出なければならない。ところが、蜂の巣は、ご存知のようにロウで大変固く表面がふさがっている。熱湯を注いでも溶けないほど頑丈である。幼虫は、そのロウの所を何とかして出て、新しい養分を得たい、と思う。大変硬い物だから、一生懸命その殻を破って出ようとしてもがく。痛みを覚え、体中傷つきながら、そのロウを抜け出ようとする。苦しみながらもがく中で体の外側についていた不必要なものがきれいに取れていって、自分でも気づかない内に外に出、新しい世界を飛ぶために必要な羽が出てくる。」というのだ。マイヤー博士は、「私たちが経験する苦しみは、決して無駄ではない。痛み、傷つき、自分の古い殻が抜け落ちる時にはじめて神様の栄光の姿の所に飛んでいくことが出来る。」ということを例話として書いている。

 さまざまな生活の苦しみ、人生の苦しみを負っている方がいると思う。けれども、神様は、私たちに確かな約束をこのロマ書を通してお与え下さっている。

斯くのごとく御霊も我らの弱きを助けたもう。 …神はこれを義とし給う。=@  ロマ書八章二六〜三三節


◎ 暗誦聖句 テサロニケ前書 四章七節

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