◆ ロマ書の学び(172)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇七年一月七日号
         ▽ み言葉に生きる

 また、私たちは永遠という時間の中にあって、神様がこの地上の苦しみがいつまでも続くものではなくして、必ず、黒い雲は去ってゆくことを教えてくださる。

 皆さんも、これまでの人生の中において、長雨あるいは悪天候がずっと何年も続くという経験があったと思う。台風や、強い雨風もあるだろうが、必ず台風は止むのである。今の苦しみは決して永続的なものではない。神様は私たちに永遠の備えをお与え下さっていらっしゃる。そして、私たちが天のみ国に行くのにふさわしい訓練をこの地上で与えておられるのだ。

 また、私たちは毎日の生活の中で、食べ物、着る物、住む所などが必要である。新聞やテレビ等で有名人の豪邸が映し出されることがある。しかし、どんな豪邸に住んでいても、いわゆる「あの世」に一緒に持っていくことはできない。

 イエス様は、富める農夫が「魂よ、我がために食べきれないほどの穀物を蓄(たくわ)えた。さあ、喜び楽しめ。」といったが、その時神様は「愚かな者よ。こよい汝の魂、取らるべし。」と仰せになった≠ニ、お教えになった。

 神様は、私たちに無くてならぬものをもって養って下さる。皆さんの家庭には無くてならぬ物はどれ位あるだろうか。アフガンなどで土の家に住んだ人たちの姿を見た。国を捨て、逃れていこうとする避難民を見ると、家財道具は手提げ一つ位しかない。それでも人間は生きることができる。私たちはあまりにも多く、無くてもいいもので囲まれてしまっている。そして、一番なくてならないものを忘れているのではないだろうか。

 イエス様が、大変親しくしていた、ラザロ、マルタ、マリヤの三人姉弟がいた。イエス様がまもなく十字架を背負っていかれる別れの時が近づいていた。イエス様が立ち寄られた時、姉のマルタは一生懸命、台所の方でお料理を作っていた。その時にマリヤはお手伝いをしないでイエス様の所へペタッと座り込んで、イエス様のお言葉を夢中になって聞いていた。これまた、有名な聖書の物語の一節である。その時、イエス様は何とおっしゃったであろうか。

 「マルタよ、あなたはこの世の中の煩(わずら)いで、心を満(み)たしてしまっている。無くてならないものは多くはない。マリヤは一番必要な神様のみ言葉を求めたのだ。」とおっしゃられた。人の生くるは、パンのみによるにあらず、神の国より出づるすべての言葉による。=@ 
        

            (続く)

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