◆ ロマ書の学び(174)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇七年一月二一日号
         ▽ み言葉に生きる


 信仰のない人たちが、あなたをご覧になって、「ああ、なんだ。彼も彼女も我々と全然違わないじゃないか。同じように悪いことを考え、悪いことをしているじゃないか。」と言うならば、失格なのである。皆さんがどんな時にも妥協しないで、「私はクリスチャンですから、しません、出来ません。」と立場を鮮明にする時は、皆さんの周りは敵で一杯になるであろう。そして、様々な嫌がらせや、試みがやってくると思う。しかし、皆さんの先には、神様の栄光が待ち受けているのだ。

 鷲(わし)はどういう所に巣を作るかご存知だろうか。空を飛ぶイーグルである。鷲は大体、高い山のてっぺんにある、もう、ほとんど木の葉っぱが風で飛んでしまったような所に巣を作る。非常に高い山の頂上で、では、どういう材料を集めてきて巣を作るのか。

 バラの枝だとか、あるいはトゲトゲの硬い枝だとか、また最近で言えば、針金であるとか尖(とが)った石であるとか、どうしてそういうもので巣を作るのか、と思えるような尖(とが)ったもの、ごつごつしたものが木の上に積まれていく。次に、小枝が積まれる。それから、様々な柔らかなものが積まれていく。そして自分のうぶげみたいなフワフワした物を使ってベッドを作り、ヒナをそこで育てるのである。

 そのようにしてヒナを育てるが、ある時期、もうこれ以上お母さん鷲がヒナにエサを与える必要は無い、自立させるべきだ、と思う時期になると、どうするであろうか。鷲を研究した人の記録を見ると、母鳥は「さあ、あなたは自分でエサをとってらっしゃい。」と言わず、これまで、ぬくぬくと暖まっていた巣から、一番柔らかな毛の部分、柔らかい部分をパアっとどんどん散らしていく。そして、最後に残るのは、棘や尖ったもの、そこにはじっと座っていられないような痛みを伴うような物だけを残すのである。

 若鳥は、もうそこはトゲトゲで痛いので我慢できない。母鷲は「さあ、もうここからは自分でエサを探しなさい。」と追い出すのだそうである。追い出された若い鳥は、これまで使ったことのない羽を動かし自分で飛んでエサを探し出す。自由に空を飛ぶ状態になれるというわけである。

 私たちは今、この地上にあって、苦しい経験をしている。痛みの経験、涙の経験をしている。誰もあなたを理解してくれない、誰もあなたを暖かく迎え入れてくれない、という痛みの経験があるかもしれない。しかし、その苦しみを通して神様は、あなたが空高く舞い上がる、新しい次の世界への準備を与えて下さっているのである。苦しみは、決して永遠に続くものではない。神様があなたを育て、あなたを栄光の姿へと変えて下さる時が近いのである。  

       (続く)

 


◎ 暗誦聖句 マタイ伝五章三節
幸福なるかな、心の貧しき者。天国はその人のものなり

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