◆ ロマ書の学び(177)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇七年二月一一日号
         ▽ み言葉に生きる

我らをキリストの愛より離れしむる者は誰ぞ、患難(なやみ)か、 苦難(くるしみ)か、迫害(はくがい)か、飢(うえ)か、裸か、危険(あやうき)か、剱(つるぎ)か。=@ ロマ書八章三五節


 私たちはおうおうにして、神様は、私のことを愛してくださらないと考えてしまう。教会のあの兄弟、あの姉妹は、神様に愛されても当然であろう。でも、私はそんなすばらしい才能も無いし、自分には価値が無いと考えてしまう。自分を卑下したり、いつも失望する経験をしたり、自分自身が嫌になり、自己嫌悪に陥る。あるいはいつも、自分はだめだ、自分は全く役に立たない人間だと考えてしまう。しかし、どのような状況、環境に置かれても、イエス・キリストの愛から私たちを引き離すことは出来ない。

 人間の誰もが悩みを持つ。小さな子供でもその子なりに悩みを持つ。皆さんが子供の頃、悩みはどんな種類だったであろうか。例えば、「お兄ちゃんはいつもお父さんとお母さんにかわいがられているのに、私はいつも放って置かれる。」という悩みを持っていたかもしれない。手がかかる子供、いたずらっ子、悪いことばかりする子供は、お父さんにもお母さんにも、しょっちゅう怒られたり、注意をされたり、手がかかる。ところがあまり手のかからない、おとなしい、お行儀がよい子というのは、親から毎日のように叱られたり、手をかけられたりするということは無い。そうすると、実際に親の愛情に飢えるのはどちらかというと、怒られる子供よりも怒られない方だ、と言われている。

 ある日、私の所に、「兄弟が大勢いる中で自分だけ母親から全く小言らしい小言を受けなかった。自分は親に愛されていないからどこか遠くへ行って死にたい。」という相談の電話が実際にあった。話を聞くと他の兄弟のように悪いことをせず、いつも親の言うとおりに行動していて、大変模範的な子供であったようである。ところが本人は「親に捨てられた」と思ってしまったのである。

 子育ての最中にある皆さんには、注意をしていただきたい。「あの子は他の子と違って優秀だ」と思う子は実は心の中で寂しさを味わっているかもしれないのである。近年、中学生や、青少年の犯罪が頻発してきた。その多くの子供達が学校では良い成績を取っている。家庭においても何不自由ない子供達がいたということである。

 私たちには人に言うことが出来ない悩み、苦しみ、あるいは緊張感、職場における人間関係の難しさ、隣近所のおつきあいの難しさがある。戦争に対する不安を持つ人、様々な状況の中で迫害にあっている人もいるだろう。キリストの大いなる愛を思い起こそう。キリストの愛から私たちを引き離すものは何もないはずである。(続)
 
◎ 暗誦聖句  テサロニケ後書 二章三節AB 
誰(た)が如何(いか)にすとも、それに欺(あざむ)かるな。

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