◆ ロマ書の学び(178)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇七年二月一八日号
         ▽ み言葉に生きる

録(しる)して『汝のために我らは、終日(ひねもす)、殺されて屠(ほふ)らるべき羊の如(ごと)きものとせられたり』とあるが如(ごと)し。然(さ)れど凡(すべ)てこれらの事の中(うち)にありても、我らを愛したもう者に頼(よ)り、勝ち得(え)て餘(あまり)あり。

          ロマ書八章三六〜三七節

 現在、日本の人口は約一億二七〇〇万人である。その中でクリスチャンはどれ位いるのであろうか。

 日本中の教会から集められたという統計(二〇〇〇年度)によると、日本にいるプロテスタントのクリスチャン人口は三六万人少々だという。私たちの知っている教会のいくつかはその情報ブックに載っていなかったけれど、その数を入れたとしても、そんなに多くはない。新約聖書を信じるクリスチャンの数は五〇万人にもみたないのである。カトリックの信者を含めて、一〇〇万人といわれ、日本の人口の一パーセントにも、ならないのである。聖書を神様の御言葉と信じるクリスチャンの数は、〇.一%にまで減る。

 一億二七〇〇万人の中から私も皆さんも神様の特別の憐れみによって召し(選び)出された存在なのである。神様は私たちを滅びの中から選んでくださった以上、どのような迫害も飢えも裸もあるいは危険からも神様は守ってくださらないはずは無いのである。

 ある人たちは、一瞬のうちに自分の財産、家、それこそすべてを失うという恐ろしい出来事に出会うであろうし、ある人は一時に自分の愛する子供達を事故などで失うことがあるであろう。

 聖歌四七六番を作詞したスパフォードという人は一度に愛する娘達を船の事故で失った。彼は事業を営んでいたが、悲しい知らせを聞いたとき神様を見上げた。

「安(やす)けさは 川(かわ)のごとく 心(こころ)ひたす時(とき)
 悲(かな)しみは 波(なみ)のごとく わが胸(むね)みたすとき
 すべて安(やす)し み神(かみ)ともにませば。
 よし天(あめ)つち くずれさり
 ラッパの音(ね)とともに 御子(みこ)イエスあらわるるとも
 などておそるべしや すべて安(やす)し
 み神(かみ)ともにませば。」

 人生でこれ以上の苦しみ、悲しみは無いと思われるような危機場面に際して、クリスチャンは神様を見上げるのである。そこに魂の憩い場を見いだすことが出来るのである。「仕事が順調にいき、家族全員が健康で、いつも楽しい歌声が響いてくる家庭」というのは、もちろん、すばらしい事であるが、人間の社会は必ずしもそうではない。病人が出ない家庭はないし、また年を取らないということもない。真の神様はどんな時にも頼ることの出来るお方である。神様を見上げよう。(続く)

◎ 暗誦聖句 テサロニケ後書三章六節
…妄(みだり)に歩む凡ての兄弟に遠ざかれ
 

本ページへの問い合わせは ruthdick@mtj.biglobe.ne.jp までお願いします。