◆ ロマ書の学び(180)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇七年三月四日号
         ▽ み言葉に生きる

 

 人生には色々な試み(こころ)がある。人物伝を読んでみると、今、日本で名を知られている人の多くが、若い頃や中年時代に、商売や会社が倒産するという経験を持っていたことを知る。事業を営む人は、一度は倒産する方が良いとさえ言われる。倒産した経験の無い人は、事業を拡張出来ないからだ。仮にあなたが社長で、会社が倒産するとどうなるであろうか。一番最初に何を感じるであろうか。

 みんな冷たい。こちらが万事調子の良い時はみんな来たのに、一旦倒産となると、親しい友達まで遠のいてしまう。そうした人間のはかなさ、人情の冷たさを感じるであろう。会社を再建したい、とお金を借りに行く。何度も頭を下げても誰も良い返事でお金を貸してくれない。突っ放される。辛(つら)い、苦しい、もうこれ以上生きていても仕様が無いという、切羽(せっぱ)詰まった状態まで追いつめられるという事がある。クリスチャンは倒産の経験が無いかというとそうではない。しかし、信仰のある人と、無い人との違いがある。

 昔、日本の家庭には、小さな女の子が看護婦の帽子をかぶったメンソレータムがおいてあった。切り傷、肌荒れに使う薬である。その初めは宣教師が、滋賀県の近江八幡でスタートした。日本の教会は貧しく、会堂を建てることが出来ないので、その働きを応援したいと、建築の設計をしながら、日本に薬を広めていったと言われる。ところがメンソレータムは倒産した。この会社を買収したのが、お菓子のロッテである。残務整理をしていた従業員の一人がクリスチャンであった。彼は、仕事をしながら神様に祈っていた。もう何もかも嫌になった時に神様に叫び声をあげた。今メンソレータムは、また日本のあちらこちらで売り出されている。見事に、その恐ろしい冷たい、苦しい経験から立ち直る事が出来たのである。

 別の例ではカネボウという会社がある。かつて、様々な経営の苦しみを味わった人がいた。この会社を再建した人がいま救われて伝道者になっている。

汝らが遭(あ)いし試練(こころみ)は人の常(つね)ならぬはなし。神は真実(まこと)なれば、汝らを耐え忍ぶこと能(あた)わぬほどの試練(こころみ)に遭(あ)わせ給わず。汝らが試練(こころみ)を耐え忍ぶことを得(え)んために、之(これ)と共にのがるべき道を備え給わん。     コリント前書一〇章一三節

讃(ほ)むべき哉(かな)、われらの主イエス・キリストの父なる神、即(すなわ)ちもろもろの慈悲(じひ)の父、一切(すべて)の慰安(なぐさめ)の神、われらを凡ての患難(なやみ)のうちに慰め、我等をして自(みずか)ら神に慰めらるる慰安(なぐさめ)をもて、諸般(もろもろ)の患難(なやみ)に居(お)る者を慰むることを得(え)しめ給う。=@  コリント後書一章三、四節

 私たちは自分たちが直面する経済的な苦しみ、あるいは人間に対する失望、様々な苦しみの中にあって、神様を呼び求めていく。            (続く)

◎ 暗誦聖句 詩篇九一篇一節
至上者(いとたかきもの)のもとなる隠(かく)れたるところにすまうその人は 全能者(ぜんのうしゃ)の蔭(かげ)にやどらん

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