◆ ロマ書の学び(182)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇七年三月一八日号
         ▽ み言葉に生きる

 事業家は、一度ならず、二度倒産するならば本当の事業家になると言われている。倒産は嬉しいことではない。まず自分自身のプライドが傷つく。家族が路頭に迷う苦しみを経験する。誰も相手にしてくれない。本当に独りぼっち。莫大な借金を抱えてそれを返済しなければならない。信用も全部失う。そのような時、我を強くし給う者によりて、凡ての事をなし得るなり(ピリピ四・一三)。≠フ聖句を座右の銘として、心に刻んでほしい。神様がくださる試みであるならば、必ずそこに、逃れる道がある。

 牧師であっても最悪の事態に心を備えている。教会にとって最悪の事態とは何であろう。それは、教会に集まる皆さんが牧師に信頼を置かなくなることである。牧師に自分の秘密を話すことが出来なくなる。そして、不信感を抱いて去っていく。これが牧師にとって最悪の事態である。

 私たちはどんな状態にあっても、いつも最悪の事態に備えていく。イエス様を見上げ、神様は何の目的もなしに最悪の状態をお作りになることはないと確信している。イエス様にあって必ず解決出来る、という希望を持つのである。どんな苦しみにあっても私たちは絶対希望を失わない。私を強くしてくださるイエス・キリストによって凡ての事をすることが出来るからである。

 男性、女性に関わらず、妄想の虜(とりこ)となる場合がある。死の恐怖、中傷、誤解。昔から相手に自分をよく理解してもらえないという場合が多いのである。自分では率直に、面と向かって意見を言わない日本人に多い。そういう意味で、?(いすか)の嘴(はし)の食い違いという言葉がある。いつも食い違うのである。

 善意でお付き合いをしていても、本当の意志が通じず、誤解が誤解を生み、やがてはお互いに別れてしまうことがある。時には、そうした思いが苦(にが)い思いとなってくる。自分の家族に、職場に、家庭に、不幸が襲ってくると、神様は私をお見捨てになった、神様はもう私を愛して下さらないと考えてしまう。そして神様の御心、聖書を苦い思いを持って読むわけである。

 苦い思い。神様に対して苦い思いを抱いてはいないであろうか。「神様はどうして、このような苦しみをお与えになるのか。どうして、私から愛する者を奪われるのか。どうして、私の仕事をこんな風にしてしまったのだろうか。どうして、神様は私の家庭をこんなにまで破壊なさったのだろうか。」

 この様に、神様の愛と憐れみを見つめることよりも、起こった出来事、失敗、災いだけに目を注いでしまって神様に苦い思いを持つと、誰も信じられなくなる。自分自身がいつも苦い思い、胆汁で満たされてしまって、食欲を失い、緊張感に襲われて、肩こり、めまい等の症状が体の面で出てくる。

 我等をキリストの愛より離れしむる者は誰ぞ、患難(なやみ)か、苦難(くるしみ)か、迫害か、飢(うえ)か、裸か、危険(あやうき)か、剣(つるぎ)か。…高きも深きも、この他(ほか)の造られたるものも、我らの主キリスト・イエスにある神の愛より、我らを離れしむるを得(え)ざることを。=@   ロマ書八章三五、三九節

 イエス様の愛を、もう一度かみしめて、イエス・キリストにあって凡(すべ)ての事をなし得(う)るなりという、あのピリピ書四章一三節の言葉を今週のモットーとしていただきたい。
                   (続く)

◎ 暗誦聖句 箴言一六章三一節


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