◆ ロマ書の学び(185)
水道水はカルキ臭いため、浄水器を付け、フィルターを通して水をおいしくいただくという人がいる。 私たちは神様のみ言葉を読むことによって、自分の考え方、生き方がフィルターを通されなければいけない。自分たちがキリストのお姿に一歩一歩近づいていくということをロマ書を通して学んでいく。 ロマ書の八章において、大変すばらしいところは、死から生命に移されたということである。さらに、ロマ書八章二八節には、クリスチャンであればどなたでも空(そら)で暗誦している聖句がある。 神を愛する者、すなわち御旨(みむね)によりて召されたる者の為(ため)には、凡(すべ)てのこと相(あい)働きて益となるを我らは知る 神様を愛する者には、この社会生活のあらゆる出来事の中に、悲しみも憂いも、悩みも痛みも凡てのものが相働いて益となる。この一つの約束だけでも信仰生活に大きな力をいただくことができる。どのような仕事や人間関係の苦しみ、食べ物や着る物が無いという状況に追い込まれたとしても、すべてのことが相働いて益となる。 私たちが経験する痛みや悲しみの当座は決して、喜ばしいものとは思わないとも聖書に書かれている。一年経(た)ち五年たち、一〇年経って、「ああ、あの痛みの経験は私にとって、大変良いことであった。神様の憐(あわ)れみ、神様の真(まこと)は、朝ごとに新しい。エレミヤ哀歌の言葉の通りだ。『神のまこと尊し。』という讃美歌のように、真実のお方でいらっしゃる。」ということを、毎朝目ざめるたびに、味わうことが出来るようになる。 然(さ)れば此等の事につきて何をか言わん、神もし我らの 味方ならば、誰か我らに敵せんや=@ロマ書八章三一節
私たちは、たった一人、自分だけ、というような環境に置かれることがあるかも知れない。「職場でイエス・キリストを信じるのは私だけだ」とお考えかもしれない。多分そうであろうと思う。日本の人口一億二六〇〇万人の中で、クリスチャンの数は僅か一パーセントにもみたない。また、地方に行けば、割合はさらにさがり、因習も強くなる。因習の中で育つクリスチャンも大変だと思う。 (続く)
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