◆ ロマ書の学び(187)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇七年四月二九日号
         ▽ み言葉に生きる

 イエス・キリストにある復活の希望は、悲しみに打ちひしがれた中国人が考えたように、死者の亡霊が家の下にやどるということではない。一年に一回、あるいは二回、先祖の霊を呼び戻すというのでもない。イエス・キリストを信じるクリスチャンは、いつまでも、限りなく光り輝く神の御国(みくに)に携(たずさ)えられるのである。

 私たちは楽しいことをやっていると時間が経(た)つのを忘れることがある。天の御国において時計は必要であろうか。時計があるだろうか。楽しいことをやっていると、「時間が経(た)つのは早いねえ」と言うし、他方、嫌な仕事をやっていると、「まだまだか」と感じる。

 イエス様と共にいる生活に時計は要(い)らない。本当に、毎日毎日が安らかで楽しくてしかたがない。そうした天の御国の栄光の光が私たちを待ち受けているのだ。だからパウロは、「私はこの地上に働きがあるので、地上の苦しい生活をしているが、出来ればこの地上で生活する、肉の衣を脱いで、天の自分の新しい衣を着たい。」と願ったのである(コリント後書五章一、二節)。
ロマ書八章三八節、三九節には、死と生命、そしてまたこの世の様々な必要なものがここにあげられている。

われ確(かた)く信ず、死も生命も、御使も、権威ある者も、今ある者も後あらん者も、力ある者も、高きも深きも、此の他の造られたるものも、我らの主キリスト・イエスにある神の愛より、我らを離れしむるを得ざることを。

 私たちは毎日、新聞を通して人間の知恵、あるいは、科学の進歩が、それを勉強する間もなく、どんどん先へ先へと進んでいることに驚かされる。

 人間の歴史を振り返ってみると、ある段階では文明が発達し、それから暗黒時代があり、後、蒸気機関車であるとか、羽を持つ鳥のように人間が世界を駆けめぐるという旧約の預言の通りになった。だが二千年前の人たちは全然それらを見たことはない。信じられなかったであろう。

 かつてダ・ヴィンチが、大きな羽を作った。でも、世界を駆けめぐることは出来なかった。わずか百年の間に、人間は地球上を駆けめぐるだけでなく、コンコルドのような早さで飛ぶことができたり、月に旅行をしたり、探査衛星を飛ばすことができるようになった。そうした人間の考え、幻がだんだん具体化されてくることは果たして、本当の意味で幸せをもたらすのであろうか。         

     (続く)

◎ 暗誦聖句 ヤコブ書五章一三節前半

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