◆ ロマ書の学び(190)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇七年五月二〇日号
         ▽ み言葉に生きる

 

 ダビデは巨人ゴリアテ(三メートルを超えるような大男)を、羊を番する時の小さな石投げで倒した。はじめ、彼のお兄さん達はダビデを「お前は生意気だ、出てくるな。」と怒った。しかしダビデは、神様の御名(みな)が汚されるのを黙っていることはできない、と言って立ち上がったのである。

 クリスチャンは、いざ、立ち上がるべき時には立ち上がらなければいけない。でなければ、あなたの信仰は実は生かされていない、宝の持ち腐れになってしまうのだ。
皆さんの持っているものは「良いもの」であって「何でもいいです」ではないであろう。いざという時に本当に力を発揮するものでなければならない。

我(われ)よりも父または母を愛する者は、我に相応(ふさわ)しからず、我よりも息子または娘を愛する者は我に相応(ふさわ)しからず。またおのが十字架を取りて我に従わぬ者は我に相応(ふさわ)しからず。生命(いのち)を得(う)る者は、これを失い、我(わ)がために生命を失う者は、これを得(う)べし。”
            マタイ伝一〇章三七〜三九節

みよ、われ戸の外に立ちて叩く、人もし我が声を聞きて戸を開かば、我(われ)その内(うち)に入(い)りて彼とともに食し、彼もまた我とともに食せん。<ハネ黙示録三章二〇節

 イギリスのある有名な聖書学者が、トロトロとうたた寝している時、一つの夢を見た。

 この伝道者の所にイエス様がおいでになって言われた。「あなたの持っている鍵を私によこしなさい。」この伝道者は一〇〇の鍵を持っていた。そして、「はい。それではイエス様、私の鍵をお渡しします。」と一〇、二〇、三〇、四〇、五〇、…九九までいって、彼は最後の一個をイエス様に渡そうとしなかった。ところが最後の一個をイエス様に渡さなかったために、彼の心の中には大変な痛みが生じてきた。果たして、私は本当にイエス様を愛しているのだろうか。私は自分のすべてをイエス様に、ささげているだろうか。悩み苦しんで、隠していた最後の一個の鍵をイエス様にお渡しした。そして彼はハッと気がついた。今のは、現実ではなかったのだ、と。それからこの伝道者は、本当に変えられた生涯へと導かれ、この学者の本は日本語にたくさん翻訳されてる。
神もし、我らの味方ならば、誰か我らに敵せんや。
                 ロマ書八章三一節

われ確(かた)く信ず、・・・我らの主キリスト・イエスにある 神の愛より、我らを離れしむるを得(え)ざることを。
              ロマ書八章三八〜三九節

誰も、私たちをイエス様の愛から離れさせることは、出来ない。                (続く)

 


◎ 暗誦聖句 詩篇一〇七篇一節 

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