◆ ロマ書の学び(194)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇七年六月一七日号
         ▽ み言葉に生きる

 

 私たちも、みなさんが本当に神様に愛され、また自分が愛されたならばその愛を他の人にも表わしていきたい、という教会でありたいと思う。

 今、多くの人たちが求めているのは、やはり、自分が誰かに愛されたい、あるいは誰かに受け入れてもらいたい、ということではないだろうか。そうした、愛を求める、飢え乾いた魂に対して、神様はこのロマ書を通して大変すばらしい約束をお与えくださっている。しかもその神様の愛に満たされた人々は、自分が幸せで、感謝な日々をすごしている。一日一日の日ごとの糧が、与えられていることを、数え上げるだけでなく、その感謝をどう表していったらいいのかということが書かれている。

 ロマ書九章から一一章は、神の選びの教理ということで、キリスト教の神学界では大変重要な論争が行われてきた。しかしそうした論争とは別に、私たちはこの中の大変大事な事柄、ロマ書九章一節〜五節における使徒パウロの心情と後半における神様の選びの教理について、神様からの課題として受け取っていただきたいと思う。

 ロマ書九章一〜八節。皆さんが聖書の翻訳についてお考えになる時、また、イエス様を信じ、聖書を買うとき、どの訳を使うか迷うと思う。私もこれまでに、口語体、新改訳、共同訳、文語体の聖書をいろいろと読み勉強してきた。日本で翻訳され出版された聖書を選ぶときにどういう基準で選ぶか。これは英語の聖書を選ぶ時でも同じである。英語の世界では数多くの翻訳がなされている。どこを調べたらその聖書がイエス・キリストを神と信じ、また伝統的な、保守的な信仰、イエス・キリストを信じる人々のよりどころとして立つ聖書として信頼できるとわかるのだろうか。創世記から黙示録まで全部を調べるわけにはいかない。学者は様々な研究、論争の結果として一つの聖句を取り上げている。新しい翻訳、英語でも中国語、韓国語でもそうである。共通することであるが、翻訳した学者がイエス・キリストを神様と信じ、あがめるかどうかという基準がある。

先祖たちも彼等のものなり、肉によれば、キリストも彼等より出で給いたり。キリストは萬物の上にあり、永遠に讃むべき神なり、アーメン。<鴻}書九章五節

 文語体では、ここではっきりとキリストは萬物の上にあり、永遠に讃むべき神なり。≠ニ書いてある。実はこれは日本語では出てこないが、翻訳によっては萬物の上にいます、神は讃むべきかな≠ニなり、キリストが全く分離されてしまう翻訳もあるのだ。(続く)

 
◎ 暗誦聖句 詩篇一〇三篇三節
 

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