◆ ロマ書の学び(196)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇七年七月一日号
         ▽ み言葉に生きる

 

 「ああ、自分たちが待ち望んでいたメシヤ、世の救い主はこの方以外にいない。」という確信に立った時にサウロは、イエス・キリストを証(あかし)するようになった。その結果、多くのユダヤ人から迫害(はくがい)を受けることになった。

 サウロは名前がパウロと変(か)えられた。イエス様によって新しい名前をいただいたのだ。そして三年の間、荒野で黙想し、聖書の預言(よげん)、約束をじっくり考え、本当にイエス・キリストこそ真の救い主という確信に至ったのである。多くの神学校が三年間というのは、パウロが三年間荒野で黙想したということに由来するかもしれないが、パウロは三年の間、このイエスが真の救い主かどうかということを勉強したのである。神様から特別なご命令をいただき、パウロはユダヤ人以外の人にイエス・キリストの福音を伝えるようにと召(め)された。

 パウロの時代も今もユダヤ人は、律法を知らない者は、呪(のろ)わるべき者だ、といっている。これは、ヨハネ伝四章でイエス様がサマリヤ地方を通って行かれた時、サマリヤの女性が「@あなたはユダヤ人であるのに、Aどうして女の私に声をおかけになるのですか。」という二重三重の質問を投げかけたところにもある。ユダヤ人はサマリヤを汚(けが)れた地域、偶像崇拝の地として決して通らなかった。それに対してイエス様はそのサマリヤの地を通って行かれて、そこにいた恥(は)ずかしい生活をしていた気の毒な女性を見いだし、キリストの救いをお与えになったのである。

 ユダヤ人は、スキがあったらパウロの命を奪(うば)おうとして、パウロが行く先々で狙(ねら)っていた。通常の人間であるならば、自分を苦しめ殺そうと、命を狙っている者たちを、愛することは出来ない。それにも関(かか)わらずパウロは「私には大きな憂(うれ)いがある。絶(た)えず私の心をチクチクどころか、ぐさりと突き刺(さ)す痛みがある。私は神様の御前にあって、嘘(うそ)、偽(いつわ)りのないことをあなた達に伝える」と言った。「私をつけねらい私を殺そうとするあの同族、同胞、ユダヤ人の救いのために、もし私が地獄の滅(ほろ)びを受けることによってユダヤ人が救われるならば、それもいといません。」と言ったのである。(何という素晴(すばら)しいことであろうか。)

 かつて救世軍の創立者ウィリアム・ブースは言った。「すべての伝道者は、一度は地獄に堕(お)ちなければならないだろう。そして地獄の恐ろしさを知ったならば、もう、いても立ってもいられない。そして人々を救いに導(みちび)こうとする力を持つに違(ちが)いない。」と。    (続く)

 


◎ 暗誦聖句  ルカ伝一九章一〇節
 

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