◆ ロマ書の学び(197)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇七年七月八日号
         ▽ み言葉に生きる

 

 パウロは、確(たし)かに当時の学問の最高のものを身につけ、
最高の訓練を受けた。ガマリエルという学者のもとで訓練を受け、生粋(きっすい)のヘブル人であった。しかも、ローマの市民権を持っていた。彼が、クリスチャンでなければ、それこそ悠々自適(ゆうゆうじてき)な生活が出来たわけである。それにも関(かか)わらず彼は自分の手で働き、手にマメを作り、真っ黒になりながら天幕づくりをして生活し、そして、人々に福音を伝えて歩いたのである。国から国へと伝道したのである。彼はイスラエルの国を離れて別の所へ行った。小アジアで伝道したときにも、イエス様を信じる人々が多く起こされていった。

 私たちが、どこかの教会に招かれて伝道説教のご用をして五人、一〇人と決心者が与えられると、意気揚々として帰ってくる。「ああ、恵まれた、恵まれた。」と言って帰ってくる。しかし、パウロはそうではなかった。どんなにユダヤ人以外、外国人が救われても、彼の心は晴れなかったのである。異国の地で彼が説教をしたとき、人々が感極まって、「パウロ先生あなたは目が不自由なようです。私の目を取って差し上げますから、どうぞ私の目を使って目がはっきりするようにしてください。」とまで言われるほどに愛された。イエス様の御言葉を大胆に、率直に、しかも適切に人々に語って多くの人々に愛された。それにも関(かか)わらず、彼にとって四六時中、寝ても覚(さ)めても忘れることが出来なかったのは自分の愛する同胞(どうほう)であった。

 私たちは日本人を愛するということがどれほどあるだろうか。アメリカ人であるならばアメリカの人をどれほど愛するか。カクラン先生は、宣教師として日本にこられ、日本の魂を愛しておられる。「私は日本人が大好きですから、アメリカ人はどうなってもかまいません。」というようでは宣教師になっていないのである。日本人の魂を愛する先生の心の中には、きっとアメリカ人に対する愛があると思う。ガーナ人のヤコブ兄にしても、そうである。日本に来て日本人が神様を知らないで歩いている。「ああ、かわいそうだなあ。」と思う気持ちがあり、ヤコブ兄はいつもトラクトを持って、大学でも研究室でも配(くば)っていた。しかし、ヤコブ兄の心の中には、ガーナの人々のために祈る心が消えることはなかったと思う。

 私は四十七年ほど前、アメリカで勉強をしていた時に、早く日本に帰りたいと思った。アメリカで、夏休みに大学の寮でちょっとペンキ塗りをした時に、大学の近くのペンキ店を持っている社長から、「あんたペンキ塗り上手だなあ。アメリカに残って私の仕事を継(つ)がないか。」と言われた。彼は私が伝道者だとも知らないでペンキ屋になれと盛んに勧(すす)めたのである。(続く)
 


◎ 暗誦聖句 使徒行伝一〇章三一節「 」内
 
 
 
 
 
 

本ページへの問い合わせは ruthdick@mtj.biglobe.ne.jp までお願いします。