◆ ロマ書の学び(198)
日本人がアメリカはすばらしいといってアメリカに勉強に行く。そして日本に帰って来ない。大変残念なことだと教育者はいう。「自分たちが訓練するのは、日本から来た学生が、ここで勉強してまた、自分の国へ帰って伝道してもらうことである。」と。私はアメリカで勉強中も証(あかし)をし、たくさんの子供達がイエス様を信じあるいは、戸別訪問をして何人もの人がイエス様を信じるのをみてすばらしいと思った。しかし、誰かが救われる度(たび)に私の心の中には、早く日本に帰りたい、早く日本の人に福音を伝えたい、という思いがあった。あなたは先に救われた。兄弟が大勢いらっしゃるかもしれないし、また二、三人の兄弟かもしれない。家族の中で「私一人だけがクリスチャンです」という方が大勢いらっしゃると思う。 「うちの主人はすごく理解があって、私が毎週日曜日に教会に行くのを、『時間だ。行きなさい。』と言って黙認してくれるのです、感謝です。」と。確かに感謝であるが、それだけでは決して十分では無い。 パウロはなんと言ったか。「私の心は絶(た)えず、自分の愛する同胞(どうほう)のために燃(も)えている。もし私の愛する同胞が救われるために私が地獄で苦しむ必要があるならば私は地獄で苦しみます。」と言ったのである。当然これはあり得(え)ないことである。救われたパウロが地獄に堕(お)ちることは無い。けれども、それほどまでに強い訴(うった)えかけを彼は持ったのである。 ご主人がまだ救われていらっしゃらないならば、奥さんは日夜祈る必要がある。「神様どうか主人を救ってください。」と。 私は、三月の自分の誕生日に母を亡(な)くした。その時、神様に献身した。「神様どうか家族を救ってください。愛する日本の魂を救ってください。神様どうか愛する者を救ってください。」と祈った。 あなたはどれほどご主人のために、愛する者のために涙を流したであろうか。救われていない子供のためにどれほど祈ったであろうか。ご主人が寛容だから、許してくれるからと何もしないのは、とんでもないことである。それは、あなたのご主人を遠く遠くへつき放(はな)していることである。むしろあなたのご主人が反対したほうがいいのかも。あなたが教会に行くことをご主人が賛成しているならば、「神様どうぞ主人の心を動かしてください。主人が私が教会に行くのを反対するように。」と。あまりにも皆さんが生ぬるい、安易な生活の中にいるために、自分の夫、あるいは妻に対し、また子供に対して愛の祈を忘れてしまっているのではないだろうか。
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