◆ ロマ書の学び(201)
日本でも以前『親分はイエス様』と言う映画が出来たが、私が推薦しないのは、私たちは犯罪歴のある人たちをあえて、美化してはならないということなのである。 証をするときに私たちは自分の過去をこういう悪いことをしたと証をすることがあるが、それが強い刺激を求める人によってさらに脚色され、演出されていくということがある。 私たちの過去は、みんなのまえで話すほど良い過去ではない。過去を語ろうとするならばここにいらっしゃるクリスチャンの方一人一人が、劇的な回心の経験がある。神様の御業(みわざ)は、そうした恐しいやくざの世界だけでなく、ふつうの世界にも働かれる。 ふつうの社会に住んでいる皆さん方一人一人が、彼等にまさる良い証、神様の大きな憐みの経験を持っていらっしゃると思う。
私たちはロマ書の九章において、クリスチャンの信仰の大変大事な教理の一つを勉強している。この九章を完全に理解することは、まず不可能である。というのは、神様の選(えら)びというのは人間の理解をはるかに超えているからである。そのことを使徒パウロは九章の前半において書いている。私たちが神様の選びということを考える時、神様がお選びになった民族は、ユダヤ人、ヘブル民族だと知っている。 このユダヤ人は世界中であまり喜ばれない。過去においていろんな噂(うわさ)が立ったりして、イスラエルの人にとって、気の毒なあだ名を付けられたり、悪い呼び名が付けられてしまったのである。けれども、今日、世界の経済を牛耳(ぎゅうじ)っているのは、ユダヤ人であるのは間違いないのである。アメリカの高官の地位にある役人たちもまた、ユダヤ人である。世界の金融界を牛耳(ぎゅうじ)るのもユダヤ人である。世界で有名なMハンバーグもユダヤ人の知恵から学んでいる。日本人はユダヤ人から商売の方法を学んだのである。科学の世界でも、ノーベル賞を受賞した多くの人がユダヤ人である。経済も文化も、芸術の世界もあらゆる面において、ユダヤ人は大変優(すぐ)れた功績を残してきた。にもかかわらず今日、イスラエルの人たちは大変世界中から憎まれている。 (続く)
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