◆ ロマ書の学び(206)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇七年九月二三日号
         ▽ み言葉に生きる

 新会堂建築という大きなプロジェクトが何年もかけて終わった。今後はさらに、周辺へ出ていって、日本だけでなく世界へ出て行って、イエス様の証人としての働きを続けなければならない。これからが、この教会の本当の働きなのである。その働きのために神さまは皆さんを選んでくださったのである。

されば兄弟よ、われ神のもろもろの慈悲(じひ)によりて汝らにすすむ、己(おの)が身(み)を神の悦(よろこ)びたもう潔(きよ)き活(い)ける供物(そなえもの)として献(ささ)げよ、これ霊(れい)の祭(まつり)なり。又この世に効(なら)うな、神の御意(みこころ)の善にして悦ぶべく、かつ全きことをわきまえ知らんために、心を更(か)えて新(あらた)にせよ。  ロマ書一二章一、二節

 神様がお選(えら)びになったイスラエルの人たち、ヘブル民族は、神様に逆らい、絶えず神様に反逆を重ねてきた。人間同士なら、「もう知らない。おまえは向こうへ行け。」と突き飛ばすほどの不信仰、不従順な民族である。「選び」という契約の故(ゆえ)に、アブラハム、モーセ、ダビデを通して与えられた契約、「恵みの契約」の故にお見捨てにならないのである。そして一度イエス・キリストを心にお迎えしたあなたも、絶対に神様はお見捨てにならない。あなたを最後まで見捨てず、面倒を見てくださる。

 たとえ、この世の中の人が反対しても、神様があなたを選び出されたのであるから、神様が最後まで守ってくださり、祝福を与え、この地上にあって最高の生活を送ることが出来るようにしてくださるのだ。

 私たちも地上において、肉体の病を経験したり、経済的な苦しみを経験したり、辱(はずかし)めを負(お)ったり、職場で嫌(いや)な経験をすることがある。でも覚(おぼ)えていただきたい。そうした苦しみの時こそ、イエス様は「日々己(おの)が十字架を負(お)いて我に従え」と仰(おお)せになる。私に科(か)せられたイエス・キリストを証(あかし)するこの苦しみは、祝福なのである。神様は、あなたを選んでくださったのであるから。

 天国に行き、周(まわ)りを見て驚くことがあるとある人が言った。『第一は、あんな人が天国にいるとは思わなかったということ。地上の生活でいつもけんかして、悪いことをするので、いやだと思っていた人が天国にいた。ところが、仲の良かったあの人がいない。どこに行っちゃったんだろう。あんなに地上で模範(もはん)的な生活をしていたのに、どうして天国にいないんだろう。三番目に、私はどうしてここ(天国)にいるのだろうか』という驚きだというのである。どうして私のような者が天国にいることができるのだろうか。神様の憐れみ、選びのためである。(続)


◎ 暗誦聖句 マタイ伝九章三七節『 』内
収穫(しゅうかく)はおおく労動者(はたらきびと)はすくなし

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