◆ ロマ書の学び(208)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇七年一〇月七日号
         ▽ み言葉に生きる

 

 十一使徒達も同じように世界に散って行った。そして福音を証(あかし)していった。ある者は逆さに十字架に付けられ、或る者はのこぎりで首をひかれ、様々な過程を経て、福音が伝わって行った。

 日本人にも、外国人にもそうだと思うが、イエス・キリストの十字架の福音は大変単純なのである。四歳の子供にもわかるほど単純である。私が悪いことをした、その罰をこのかたが受けてくれたとわかる。小さな子供達になぜ十字架が必要であるのか。それは自分が天国に行きたいからではないのである。

 もともとは神様の創造、創造主なる真(まこと)の神様を畏(おそ)れ敬(うやま)うということである。私たちは自分たちが幸福になるために信仰を持つと考えてはならない。神様の絶対的な主権、創造主の栄光を拝するようにされたのである。私は幸福になるために召されたと思ってはならない。創造主なる真の神様を礼拝するために、神様は全世界から私たちをお召しになったのである。そのことは黙示録に書いてある。(黙示録一章五、六節)私の幸せのためではない。

 神様を第一とし、礼拝するために呼び集められ、召し出されたのが教会である。そして、イエス様を信じる者が神様を第一とする時に、付随的に、クリスチャンは神様の豊かな祝福をいただくことができる。だから、ご利益(りやく)を求めてはいけない。ご利益が主体ではないのである。神様を第一とするときに、日本人の求めるご利益、様々な恵み、祝福が与えられる。この順序を間違(まちが)えないでいただきたい。

 今から二百年あまり前、一人のお母さんが一生懸命子供に讃美歌を聴(き)かせた。アイザック・ワッツという伝道者であり音楽家である人がまとめた子供の聖歌集を、お母さんは毎日子供に聞かせた。聖書を読んで聞かせ、一緒に祈り、そして「神様。できるならば、この子供が大きくなったら神様にお仕えする伝道者になるようにしてください。」と祈っていた。

 このお母さんはこの息子が七歳の誕生日をあと二週間で迎えるというときに病で亡くなった。このお母さんが幼い子供を残して亡くなった後、お父さんは、すさんだ生活をしていた息子を船乗りの船長に預けた。彼はアフリカの奴隷商人の手先となっていた。彼は一一日間も続く嵐に巻き込まれ、その嵐の中で死ぬか、生きるかというときに幼い頃お母さんから聞いた聖書のことばを思い出した。そして、「神様。私のような悪い人間が救われることはないと思いますけど、神様どうか救ってください、憐(あわ)れみを与(あた)えてください」と祈った。見事に彼の祈りは答えられた。そして彼は、その時から船の中で他の人たちに証をしていった。    


◎ 暗誦聖句 詩篇七一篇二節B 
なんじの耳を我に傾(かたぶ)けて我をすくいたまえ。

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