◆ ロマ書の学び(216)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇七年一二月二日号
         ▽ み言葉に生きる

 私達が『口で言いあらわす』ということは、他の人々の前で「私はイエス・キリストを信じ受け入れました。神様の子供とされました。」と言うことである。

 『心で信じる』ということは、「あなたは十字架の血によって私の救いを受けることができた。私はあなたを迎えよう。」と神様が迎え入れてくださる約束を感謝して行動にあらわすことだ。多分、多くの日本人の場合は最初に心に信じて、口に言い表すという順序だろう。自分で納得(なっとく)して、理解(りかい)して、それから恐(おそ)る恐(おそ)る「イエス様を信じます。」と、こういう順序(じゅんじょ)だと思う。順序はどちらにしても、『口で言い表す』ということは、本当に信仰の喜び、神様への感謝の思いを人々の前であかしすること、である。そして、『心で信じる』ということは神様によってしっかりと受け入れられる、ということをあらわす。

 日本の幕末時代、キリスト教徒の迫害(はくがい)という恐るべき歴史の血の跡(あと)が残っている。これはプロテスタントではなく主(おも)にカトリックが迫害された時代であるが、捉(とら)えられたカトリックの人達は「お前達がそんなにイエスを信じるなら……。」と、若い女性も男性も逆(さか)さまに十字架に貼り付けられて焼かれた。こういう出来事は長い間、日本人の目には触れなかった。

 戦後、宮内庁(くないちょう)に保存されていた資料から、次々とその事実が出てきてそれが本になった。日本で恐るべきキリシタン(キリスト教徒)への迫害があった。私と同じ日本人の血を分けた魂が神様に身を捧(ささ)げ、自分達が火で焼かれても、いとわなかった。私達はどうだろうか。「誰かに聞かれると恥(は)ずかしいから。」「嫌(きら)われたら困(こま)るから。」「今度道であっても声をかけてもらえないと嫌だから。」などと、人を恐れてはいないだろうか。

 水曜日の聖書研究会でマタイ伝の勉強をしていて、私はユダヤ人と日本人に共通点があることを見出した。どのような点がユダヤ人と日本人と共通しているのだろうか。日本人もユダヤ人も大変信仰深い。信仰があつい民族だ。そして、儀式(ぎしき)とか戒律(かいりつ)を重(おも)んじる国民である。そしてまた、日本人もユダヤ人も非常に人の目を気にする。他の人が私をどう評価(ひょうか)するか、どう思うか、を大変気にする。そして伝統を堅く守ろうとする。

 さらに、人の前では自分が正しい人間であるように振舞(ふるま)う。日本人もユダヤ人も同じだ。最大の違いはどこにあるかというと、ユダヤ人は唯一(ゆいいつ)全能のまことの神様を知っていた、ということである。日本人は、すべての生きとし生けるものが神々であると考え、八百万(やおよろず)の神々を信じた。唯一神信仰と、多神教との違いがある。けれども、その外的な面においては、共通するところが大変多い。(続く)
 


◎ 暗誦聖句 ヨシュア記一章八節前半
この律法(おきて)の書(ふみ)を汝の口より離すべからず。

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