◆ ロマ書の学び(217)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇七年一二月九日号
         ▽ み言葉に生きる

 

 驚(おどろ)くほどユダヤ人と日本人は共通する。同じように共通する残念な点は、両者共にイエス様を拒(こば)むということだ。どんなに目の前に聖書を置かれても、それを読もうとしない、そういうかたくなな民族だ。それなのに、日本において聖書は驚くほど多く売れている。日本の人口の何倍もの冊数で聖書は売れている。にもかかわらず、日本では一パーセントにも満(み)たないクリスチャンしかいない。

 多くの作家は、聖書を題材にして小説を書いた。皆さんが良くご存知の日本の小説家は、ほとんどが聖書を読み、聖書から題材をとっている。志賀直哉、芥川龍之介、太宰治……それぞれ自分の小説の中に少しずつキリスト教のことに触れている。彼らは人生のある時点では聖書を読んだ。しかしその知識は、真理に根ざさなかった。真理の言葉は彼らの心をしっかり捉(とら)えることはなかった。太宰治のごときは、内村鑑三というあの有名な伝道者の薫陶(くんとう)を受けながらその元(もと)を去(さ)っていった。

 私達はパウロが言ったように、「もし気が狂(くる)うとするならば、イエス様のために気が狂う。もし冷静(れいせい)であるならば、人々に証(あかし)をするために冷静である。」そういう風な熱い神の子供とされたいと思う。皆さんはどうだろうか。「手が冷たい人は心が温かい」などと冗談(じょうだん)を言っている場合ではない。私達はイエス様の御名において心が熱くされなければいけない。外に行ってトラクトを配れば、当然手は冷たくなる。

 インドネシアにバタックという部族がある。インドネシアに行かれると、バタック民族の集落一帯がクリスチャンで固まっている。入江先生達も、初めはバタック族の中で伝道を始めた。このバタック族は初めからクリスチャンであったわけではない。一人の宣教師が二年間という許可をもらって、バタック族の中に入っていった。バタックの酋長(しゅうちょう)はこう言った「二年経(た)ったら必ず出て行きなさい。」と。宣教師は、人々の習慣であるとか考え方、人々が何を信じているかなどを一生懸命勉強した。

 ある日、酋長は尋(たず)ねた。「私達には、人を殺すな、人のものを盗むなとか色々なおきてがある。あなたの宗教はどうか?」宣教師は、「もちろん私たちにもそういう教えがあります。」と、答えた。酋長は言った「私達は、そういうことをやってはいけないとわかりながら、それを守る力がありません。」それを聞いた宣教師はすぐに、「聖書の教えは、そういうことを守る力を神様が下さるんです。」と、力強く答えた。(続く)


◎ 暗誦聖句  マタイ伝一〇章二四節

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