◆ ロマ書の学び(219)
即(すなわ)ち、なんじ口にてイエスを主と言いあらわし、心にて神の之(これ)を死人の中(うち)より甦(よみがえ)らせ給(たま)いしことを信ぜば、救わるべし。それ人は心に信じて義とせられ、口に言いあらわして救わるるなり。 聖書にいう『すべて彼を信ずる者は辱(はずか)しめられじ』と。ユダヤ人(びと)とギリシャ人(びと)との区別(わかち)なし、同一の主は萬民(ばんみん)の主にましまして、凡(すべ)て呼び求むる者に對(たい)して豊かなり。 『すべて主の御名を呼び求むる者は救わるべし』とあればなり。』=@ ロマ書一〇章九〜一三節
ロマ書一〇章には、どうしたら救われるのか、救いを得るためにはどれくらいお金がかかるのかなど、多くの人々が考える疑問について、明確に答えが書かれている。 かつて明治、大正、昭和の初めにかけて日本の「インテリ」と呼ばれた人々、知識人は『西洋の文明や生き方を知るためには聖書を読まなければならない』と言った。そしてまた戦後、私たちが教育の中で教わってきたことは、『今、世界をリードするアメリカを知ろうと思うなら、聖書を読まなければならない』ということだった。 ところが、そういわれてどれくらいの人々が聖書を手にとって読んだだろうか。 戦争中、私は東京の江戸川区に住んでいた。戦争の初期、どの家でも防空壕を作らなければいけないということで、たいてい押入れの下にそれを作った。どうして防空壕(ぼうくうごう)を押入れの下に作ったか?その理由がお分かりだろうか。押入れは布団が積み重ねてあるから、焼夷弾(しょういだん)などの爆弾が布団の奥にまで突き抜けることができない。何枚もの布団を爆弾は突き抜けることはできないから安全だと考えられた。そういうことから、押入れの下、地面に穴を掘って、空襲だというとそこに逃げ込んだ。 しかしやがて、それがアメリカの空襲には役に立たないということがわかった。というのは、アメリカは爆弾ではなく焼夷弾を落としたからだ。焼夷弾は、一箇所に落ちるとウサギのようにピョンピョン飛び跳ねてあちこちに油をたらし、そこでボーッと燃える。だから家の中の防空壕はとても危なかった。そこで今度は、庭先にみんな穴を掘り始めた。そんな戦争の悲惨な経験をした私たちがまず考えたことは、「日本はどうして負けたのだろうか?」と、いうことであった。
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