◆ ロマ書の学び(229)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇八年三月一六日号
         ▽ み言葉に生きる

 

 私たち人間を創造してくださり、日々太陽の光をお与えくださり、雨を降らせ、空気をお与えくださる神様。こんなに大きな祝福をお与えくださる、まことの創造主である神様に感謝しないどころか、神様に逆(さか)らう自分勝手な道を歩く人間。こうした罪、汚れを、神様に赦(ゆる)していただかない姿、神様がくださるプレゼントを「要(い)りません。」と言って拒(こば)み続ける姿が、人間を不幸にする、と聖書は教える。

 聖書でいうところの「罪」とは何か。これは四歳の子どもでもわかる。「罪」というのはまず、自分の内側に起こってくる。いったい誰が、子どもの心の中に嘘(うそ)をつくことを教えてきたのであろうか。誰が自分を守ろうということを教えてきたのであろうか。人間は、生まれながらにして「自分がかわいい」「自分を第一としたい」そして「自分の自我を通そう」としてきたのである。

 アメリカでの学びを終え、日本に帰国したばかりの時だったと思うが、松戸方面で伝道している宣教師に招かれて、伝道集会に行った。二〇数名集まっていた。私は神様についてお話した。翌日、一人の高校生が集会前に来て、「ちょっと話がしたいんです。」「何でしょう?」「私は神はいないと考えているが、昨日あなたは、神様は存在すると言った。そこで昨晩確(たし)かめてみたが、神はやはりいないことが確信できた」と。私は、まさかと思ったが、彼がどういう風に確信したのか話を聞いた。

 「祖母から『何か確認したい時には確認したいことを紙に書いて、枕の下に入れて寝なさい。そうすればわかってくる。』と聞いたので、僕はそれをやってみた。昨日、『神がいるならば私に現(あらわ)れて下さい。』と紙に書いて枕の下に入れて寝たが、早朝まで神は現れなかった。だから神はいない。」と言うのである。小学生ではなく高校生がそんなことを真面目(まじめ)に考えて、実行したことに私は驚きを覚(おぼ)えた。そんなことをするよりも、自然界(しぜんかい)の太陽、月、星そしてまた動物の生命、木々の成長する姿、などを見つめて、この世に素晴(すば)らしい天地万物をお造(つく)りになったお方がいらっしゃるに違いない、と考える方が遥(はる)かに考えやすいことではないか、と思った。

 その同じ週の特別集会で「嘘(うそ)をついたことのない人はいらっしゃいますか。」と聞いたところ、また一人、高校生が手を上げた。私は集会後、この青年のところに行ってたずねた。「あなたは一度も嘘をついたことはないですか。」「絶対ありません。天地神明に誓って嘘をついたことはありません。」と言うのである。(続く)

 


◎ 暗誦聖句 コリント後書六章一六節B

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