◆ ロマ書の学び(232)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇八年四月一三日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  神様は聖書を通して、私たちが神様に与えられた理性を通し、考える力を通して、真の神様の存在ということを学び取ることが出来るようにしてくださった。目から見る自然の美しさや壮大さ、そして頭で考える神様のおことば、さらに第三の啓示として、私たちは人間の姿をとってこられたイエス・キリストを通して、神様の御心を、より身近に学ぶことができるのである。

 私たちは神様からこれら三つの啓示をいただいているわけである。だから、「私は神を信じないと言い逃(のが)れる術(すべ)がない。」と使徒パウロはロマ書の中で断定をしている。
すべてエホバの名を呼ぶものは救わるべし。
              ヨエル書二章三二節

 「主の御名を呼び求める」ということは、自分の魂の救いのために、天地万物をお造りになった創造主である神様を、私たちが呼び求める、ということである。そして、この地上に肉体の姿をおとりくださって、おいでになったイエス・キリストを心にお迎えすることである。これまでは自分が中心であった生活に対して、今度はイエス様が私の心の中に入ってくださり、そして私の人生を導いてくださるようにとお願いをする。それは自分の人間としての知識や感情とか意思も、全てを帳消しにして、全くなしにして、何かのようになる、ということではないのである。

 世の中には内向的な人も外交的な人もいる。にぎやかな人もいれば、穏やかな人もいる。静かな人もいる。これまで静かだった人が、イエス様を信じたら急ににぎやかになって、「きゃっきゃ、きゃっきゃ。」と言い出す、というわけではないのである。神様は全て信じる人たちに対して、その個性を活(い)かしながら、あくまでもその人はその人なりの性格をもったまま、その人の悪い面を削(けず)っていって、いい面を育ててくださるのである。そして、それぞれの個性を最もいい形に研(と)ぎ澄(す)ましてくださるのが、神様のお言葉である。

 イエス様の弟子の一人、ペテロという人は漁師で、大変気性の激しい感情的な人間であった。ところが、このペテロはイエス様に従い、イエス様の御言葉によって訓練されて、大きく変えられた。彼が書いたペテロの書簡を読むと、いかに驚くほど忍耐強い信仰であるかと感じさせられる。感情的で、すぐ心はやって行動に移した人物が、耐えるということを信仰生活で学んでいくわけである。私たちは変えられる可能性があるのである。(続く)

 


◎ 暗誦聖句  創世記 一五章一節
…懼(おそ)るるなかれ我は汝の干櫓(たて)なり…

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