◆ ロマ書の学び(234)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇八年四月二七日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  私は、ミシガン州のテンプル・バプテスト教会でビーチャム・ヴィック博士のもと、研修で五週間過ごした。その時、自由に使ってよいと言うので、大きな食堂で日本から取り寄せた味噌を使って、たまねぎとジャガイモの味噌汁をつくった。「ああ、久しぶりに日本の味だあ。味噌の香りは何とも言えないな。」と喜んでいると、そこへ、教会の台所管理の婦人が入ってきた。「何、このにおい!」「 日本のスープです。」「へえ。日本人ってこんな臭(くさ)いものを飲むの?」それから彼女は、大きな扇風機を持ってきて窓からにおいを追い出そうとした。失礼な、と私は思ったが、仕方がない。彼女が管理しているのであるから。

 日本人が食べる物は、外国の方(かた)からみればゲテモノなのである。私もイカの塩辛は絶対ダメである。確かに、どこにいても、私たちは自分の体臭というものが出てくるものらしい。そうすると船で乗り合わせた美術館員が言うのである。「肉食をしている人たちは喧嘩(けんか)っ早(ぱ)い。血の気が多いからいつもかっとなる。ところが日本人みたいに、お米や野菜を多く食べる菜食主義者は気が長い。ゆったりとしていて、少しくらいのことでは怒(おこ)らない。」「そうかなあ。」と思った次第(しだい)である。

 ペテロは非常に血気盛んであり、トマスは自分がなっとくするまで探求し、ヨハネは忍耐深い愛の人であった。神様は一二人の弟子をお集めになって、どのような性格の人であってもイエス様のところに来(く)るならば、一つになる、ということを望んでいらしたと思う。全(すべ)て創造主の御名を呼び求めるものは救われる。こんなすばらしい招きの言葉はないと思う。

 だいぶ前のことであるが、私の友人は三二、三才の時に両眼を失明した。しかし、彼は学者なので、奥様の手伝いをいただいて本の執筆を続けた。彼は渡米の際、飛行機に乗れなかった。その頃、アメリカはまだ、盲導犬を一切飛行機に乗せなかったからである。

 同じ頃日本で、皆さんご存知の作家、曽野綾子氏がサングラスをかけて、新潟方面のレストランに入ったそうである。ところがレストランのマネージャーが「お客様、こちらの皆様はおとなしい方だけですので、申し訳ないですがどうか別のレストランに移ってくださいませんか。」と言うので、彼女は、かあっと頭にきたというのである。「私は夜、皆が寝静まってから、夜中に仕事をすることが多く、昼間外に出ると目がまぶしくてしょうがない。だからサングラスをかけているんです。」と説明したけれども、店の人は「でもみなさんここに集まっているお客様が不快になりますから。」と言って、いうことを聞かなかったというのである。   (続く)

 


◎ 暗誦聖句 黙示録二二章一三節
我はアルパなり、オメガなり、最先(いやさき)なり、最後(いやはて)なり…

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