◆ ロマ書の学び(236)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇八年五月一一日号
         ▽ み言葉に生きる

 

   私は独身のころ、東京の平井(江戸川区)という駅に通っていた。その平井駅に行く途中、表通りの一軒の店が改装されて、外から見える集会所があった。壁一面にいろいろと書いてあった。「何だろう?」と思って見ると、阿弥陀如来(あみだにょらい)とか天照大神(あまてらすおおみかみ)とか、仏様とかいろいろな名前がたくさん書いてある。その中にキリスト様というものがあった。「あれっ」と思ってびっくりした。まさにアテネと同じだったのである。

 最近はそう言わなくなったようだが、それは「最高道徳」という宗教であった。人間の考えるところはそういうものなのである。ちょうどギリシャの人々と同じである。「名前の知らない神々に」と人々が書いたのと同じように、私達は、お正月になると初詣(はつもうで)をする。自分たちの祈る対象がわかっていないのである。拝んだ神々があなたを助けてくれるだろうか。それは全く信用できない。

 数年前、正月のテレビに映っていたのは、あちこちの神社がお賽銭(さいせん)を数えるシーンだ。神主(かんぬし)が数えるのかと思ったらそうではなくて、銀行員を連れてきていた。銀行員が白い服を着て、一生懸命百円玉を数えたり、お札を数えたり、あと機械のなかにジャラーと入れていた。私たちの教会では、機械は要(い)らない。手で数えればいいのである。でも皆さんの方がはるかに恵まれている。「百万人集まった、二百万人集まった、三百万人集まった。お賽銭がいくら集まった。」などと一喜一憂する必要はないのである。

 私たちは天地(てんち)全てのものをお創(つく)りになった真(まこと)の創造主を拝んでいる。神様が一日一日、それも全て備え与えてくださるお方なのである。どうやって聞いたことのないものを呼び求めることができようか。宣(の)べ伝(つた)えるものがなければ、どうして聞くことができようか。

 スタンダード・オイルという会社をご存知だろうか。スタンダード・オイル・カンパニーはアメリカでも大変大きな、石油とガソリンの会社である。スタンダード・オイル会社がインドネシアで初めてのオイルの発掘をしようとするときに、技術者を派遣した。インドネシアに視察にいき、そしてその地域を調査した結果、ここにはたくさんの量の油が埋蔵されている。ついてはこのインドネシアで採掘するために、ここでマネージャーを一人雇おうではないか、ということになった。聞いてみるとその地域に詳しく、言葉が出来て、本当に文明の社会に接している一人の人物がいた。その人はキリスト教の宣教師であった。              (続く)

 


◎ 暗誦聖句 詩篇四一篇一節

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