◆ ロマ書の学び(238)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇八年五月二五日号
         ▽ み言葉に生きる

 

   あなたはいかがであろうか。これは伝道者だけの仕事ではない。講壇から語るだけではなく、「ヘラルド」=「よきおとずれ、よき知らせを知らせる、伝える」伝令者なのである。いわばポストマン、メールマンなのである。この講壇だけが伝道の場ではない。私たちが本当に伝道する所はここから降り、街中にどんどん入っていく。皆さんが家家を訪ね、イエス様のことを宣べ伝える。これが本当の意味での証し、宣教であると思う。私たち一人一人が、神様に召された伝道者として、あるいは伝令者として、ヘラルドとして、用いられますようにと願っている。恐れおじける時もある。戸別訪問の時に、自分が何を言っているか分からないほど、あがってしまう状態があるかもしれない。けれども内側に潜(ひそ)む魂への情熱、失われた人々を一人でも早く導きたい、という強い願いを持って、魂に語りかけることができるように。この年の暮れには、私が配ったあのトラクトで、私がお話ししたそのことで、あの兄弟が、あの姉妹が救われました、と喜ぶことができるようにと、切に願っている。

 ロマ書には、誰かをイエス様のもとへ導く個人伝道に欠かす事のできない大変重要な、キリスト教の『根本教理』が記されている。実は、あなたが何年教会生活を送ったかということであなたの信仰をはかることは出来ない。あなたはこれまでに何人の人をイエス様のもとに導くことが許されたであろうか。これこそが、クリスチャンとしての証(あかし)ではないかと思う。「日曜学校で聖書を教える」ことも大切な働きであるが、教えることが目的ではない。私達はみ言葉を解(と)き明かすことによって、霊魂をすなどる。はっきりと、イエス様を信じるという告白まで導いていくのが、日曜学校の目的である。さらにそこから献身者が与えられるように、その日曜学校の生徒の中から宣教師、或いは牧師、伝道者の奥さんになる人達を育てていく。これが私達の最大の眼目である。

 皆さんがどれほどこのロマ書の学びを通して魂をキリストに導いていくことが出来るか。そういう意味で、牧師の話はもう聞き飽(あ)きたというのではなく、もし一対一で誰かにイエス様のことを話したい時に、どの聖句を使ったらよいのか、という意識をもって学んでほしい。「罪」、「神の愛」、「人間の社会、世界の変化」についてロマ書を通して学んでいただきたい。そうすれば、個人伝道が出来る者となれる。アメリカでは、ロマ書の聖句から個人伝道をする「ローマンズ・ロード」という手引書が多く出されている。ロマ書という一つの書簡を勉強するだけで聖書全体の流れが良く分かり、聖書の根本的な教えが頭に入ってくるはずである。                      (続く)

 

 


◎ 暗誦聖句 ルカ伝一〇章七節

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