◆ ロマ書の学び(242)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇八年六月二二日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  昔から、ただより恐いものはない、とよく言われてきた。だから、神様の救いがただであるということを、私たちはなかなか信じ受け入れる事ができないのである。 けれども、私たちがただで手に入れているものはあんがい沢山(たくさん)ある。お金をはらわないで、自分が使っているもの、あるいはそれで生かされているもの。空気、太陽の光、その他、いろいろなものがある。

  人間にとって、なくてならないものを神様はお金を取らずにただで与えて下さっている。同様に私たちの魂の救いにも、神様はお金を一切払う必要はない、とおっしゃるのである。どうしてであろうか。

  誰(だれ)一人、おのが兄弟(はらから)を贖(あがな)うことあたわず。之(これ)が ために贖價(あがないしろ)を神にささげ、之(これ)を永遠(とこしえ)に生存(いきながら)え しめて朽(くち)ざらしむることあたわず。霊魂(たましい)を贖(あがな)うに は費(ついえ)いと多くして、この事(こと)を永遠(とこしえ)に捨置(すておか)ざるを 得(え)ざればなり。=@      詩篇四九篇七〜九節

   私たちの魂(たましい)は、あまりにも高価で尊いから、魂を贖(あがな)っていただく、救っていただくために人間は誰一人、そのお金を払う事ができません、という意味である。だから神様は、お金のない人もお金持ちも、教育のある人も教育のない人も、男性も女性も全(すべ)ての人に公平に、平等に、ただで、永遠(えいえん)の生命(いのち)をいただくことが出来るようにしてくださったのである。ちょうど神様が全(すべ)ての人に太陽の光や空気をただで毎日吸うように与えてくださっているのと同じである。問題は、その神様の救いを私たちが求めるかどうかである。

  求めよ、さらば与えられん。=iマタイ伝七章七節)とイエス様は仰せになられた。求めなさい、そうすれば与えられます、と。人間社会は全て「お金」であり、日本人が好む表現「地獄のさたも金(かね)次第」なのである。しかし、聖書の教えはお金のない者も来なさい、なのである(イザヤ書五五章一節)。

  では、金持ちは天国にいけないのか。聖書は何と書いているだろうか。金持ちが天国に入るのは大変難しいと、教えている。それは、人間の心に起こる欲望、金銭欲が邪魔をしているからである。。金銭欲というのは、お金にまつわる力である。パワーがほしいのである。そのため、お金持ちの人達は「神様の救いをただでいただく」ということが、なかなか信じられないのだろう。自分自身が自分の力を過信しているからである。

  主よ。われらに聞きたる言(こと)を誰か信ぜし。             ロマ書一〇章一六節(続く)

 

 


◎ 暗誦聖句   詩篇三一篇二四節
すべて エホバを俟望(まちのぞ)むものよ 雄々(おお)しかれ。 
            なんぢら心をかたうせよ。

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