◆ ロマ書の学び(244)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇八年七月六日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  されば我等(われら)はキリストの使者(ししゃ)たり、恰(あたか)も神の我等によりて汝らを勧(すす)め給(たも)うがごとし。我等キリストに代(かわ)りて願う、なんじら神と和(やわら)げ。              コリント後書五章二〇節

  二〇〇一年にハワイ沖で米原潜に衝突され、水産高等学校の訓練船えひめ丸が沈没し訓練生九名が亡くなった。その被害者のための合同慰霊祭に、アメリカ合衆国大統領に代わって駐日アメリカ大使が弔文(ちょうぶん)を読んだ。

「アメリカの大統領と合衆国、全国民を代表して、私は犠牲者の皆さんとご家族に心からお詫(わ)びを申し上げます。」と。一人の大使が、アメリカ全土の二億以上の人々を代表してお詫(わ)びをした。通常、一つの国家の大使が代弁する時には、その国全体の気持ちをあらわして行うわけである。

  同様に、私達一人一人が、イエス様の十字架による福音、救いの福音を誰かにお話する時には、神様の約束のお言葉である聖書の言葉全部を代表しているのである。私達が、神様に代(か)わって「イエス・キリストを信じるならば、あなたは救われます、という神様のお約束があります。」と語るのである。

  誰が何と言おうと、神様は決してその約束(やくそく)をやぶることはなさらない。聖書がそのしるしである。だから、アメリカに限(かぎ)らず、ヨーロッパの国々でもキリスト教の影響(えいきょう)のある国では、大統領とか国の首相、最高裁判所の長官などは皆、聖書に手を置いて宣誓(せんせい)をする。この、神様から与(あた)えられた「聖書」、唯一絶対(ゆいいつぜったい)の、神様の約束の言葉の上に手を置(お)いて「誓(ちか)います。絶対破(やぶ)りません。」と宣誓するのである。

  神様は、誰かをイエス様のところに導(みちび)くという権限(けんげん)、そうした素晴(すば)らしい力を、先(さき)に救われた私たちに与(あた)えておられる。そして「先に救いを受けたあなたに私は託しますよ。」とおっしゃるのだ。だから私達は一人一人がイエス様の福音を語(かた)る時に「キリストの使者」「神様から遣わされた大使」「アンバサダー」なのである。

  この聖句は、牧師や宣教師だけでなく、イエス様を信じて救われた者はすべて、神様の福音を伝えるアンバサダー、伝令者(でんれいしゃ)である、とおしえているのだ。。

  あなたが祈りつつ、このロマ書から単純明快(たんじゅんめいかい)な個人伝道をするとする。イエス様の十字架の説明をして、「悔(く)い改(あらた)めて、イエス様を信じてください。」と勧(すす)めた時に、その人が「いや、私は信じません。どうせ信じるならあなたではなくて、宣教師のA先生から聞いて、それで信じます。」と言ったとするなら、その態度(たいど)は間違(まちが)っており、それは神様に対する冒涜(ぼうとく)である。

  私たちの救いは、神様の約束の言葉である聖書に基(もと)づくのであり、イエス・キリストの十字架の福音が、私やあなたを救うからである。                          (続く)

 


◎ 暗誦聖句  詩篇二三篇四節

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