◆ ロマ書の学び(245)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇八年七月十三日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  されば我等(われら)はキリストの使者(ししゃ)たり、恰(あたか)も神の我等によりて汝らを勧(すす)め給(たも)うがごとし。我等キリストに代(かわ)りて願う、なんじら神と和(やわら)げ。              コリント後書五章二〇節

「いや、あなたから聞くよりも、私は牧師の話を聞いて個人伝道を受(う)けた方がいいです。どうせ改心(かいしん)するなら牧師によって導(みちび)かれたい。」という態度(たいど)、あり方(かた)はまちがいである。 なぜなら、「牧師」や「宣教師」が救(すく)うのではないからである。私たちの救いは、神様の約束の言葉である聖書の約束に基(もと)づくのであり、イエス・キリストの十字架の福音が、あなたを、私を、救うのである。この点を間違えないようにしなければいけない。

  だから、あなたが個人伝道をして「イエス様を信じて下さい。救われてください。」と語り、その人が「はぁ。聖書にそう書いてあるから私、神様の言葉を信じます。」と言ったとする。そのように誰かをイエス様に導 いたならば、我等(われら)はキリストの使者(ししゃ)たり≠なたは立派(りっぱ)な伝道者、個人伝道者なのである。

  何千人、何万人という人たちに、あるいはテレビを通して伝道する伝道者を偉(えら)いと思ってしまうことがあるかもしれない。しかし、神様の基準はそうではない。神様がご覧(らん)になる「神様の器(うつわ)」というものは、たった一人の魂でもその人を滅(ほろ)びから救(すく)いに導(みちび)く人、そういう人こそが神様に喜ばれる人なのである。

  アメリカに、ムーディーという世界的な伝道者がいた。この偉大(いだい)な伝道者は「もし、誰かを神様の救いに導かなければ天国に入(はい)れないとするならば、私はすぐ、巡回伝道をやめます。」と言った。彼は、世界中で伝道して何万人という人々を救いに導いた人物である。

  なぜ、ムーディー伝道者はそう言ったのであろうか。「何千人にお話をしても、その人達が確実(かくじつ)に救われるかどうかはわかりません。けれども一対一でお話をするなら、確かにその魂がイエス様を信じたこと、確信を持ってその人が天国に行くということを証(あかし)できる。」と言ったのである。

  ぜひ、間違(まちが)えないでいただきたい。牧師が偉(えら)いのではない。宣教師が偉いのでもない。誰かの魂をキリストに導くならば、あなたは神様に祝福される人なのである。

  もちろん私たちも、皆さん同様、一人でも多くの魂をキリストに導きたい、という願いで、毎日祈り、励(はげ)んでいる。                 (続く)

 


◎ 暗誦聖句 使徒行伝一章八節A・B
されど 聖霊(せいれい) なんじらの上に 臨(のぞ)むとき、
             汝ら 能力(ちから)を うけん。

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