◆ ロマ書の学び(247)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇八年八月三日号
         ▽ み言葉に生きる

 

   『われ従(したが)わずして言い逆(さか)らう民(たみ)に終日(ひねもす)手を伸(の)べたり。』と云(い)えり。=@    ロマ書一〇章二一節

 私がテンプル・バプテスト教会の集会で証(あかし)をしたあと、うしろで待っていたこの方(かた)に「あなたはユダヤ人が救われると思いますか?」と尋(たず)ねられた。私は返答に詰まって迷(まよ)ってしまった。そうしたら「神様は、今でもユダヤ人を愛して、救って下さっている。」と言い、「I am a Jew.=私はユダヤ人です。」と話されたのである。そして、私に証をしてくれた。

 その人が、イエス様を信じてバプテスマを受けたことを喜んで家族に手紙で知らせたところ、家族は彼の葬式(そうしき)を出した、というのである。「あなたはもう、うちの家族ではありません。私たちはあなたの葬式を営(いとな)みました。もう、あなたと私たちとは全く縁(えん)がありません。」という手紙が届(とど)いた、というのだ。

 現在でも、ユダヤ人やムズリム(=イスラム教徒)は、イエス様を信じると、同じように家から追放(ついほう)されて、葬式を出されてしまうのだそうである。それほど厳(きび)しい状況の中にあっても、イスラエルの人達の中にも、今なお、神様の愛を受けて救いにあずかる魂がいるのである。

 数年前イギリスのセント・ポール・カシードラルという大聖堂で、使徒パウロの回心記念礼拝が持たれた。その記念礼拝を終えて一人の伝道者が出てきた時、別の伝道者が通りかかって、顔見知りの伝道者に「ああ。あなたは今、どこに行っていたのですか。」とたずねた。彼は「私は、ユダヤ人のために伝道するところで祈祷会があって出席していました。朝の祈祷会に出てきたのです。」と答えた。すると、もう一方の伝道者は「あなたはユダヤ人が救われると思っているのですか?」と言った。ユダヤ人救霊のための祈祷会に出ていた伝道者が「今日あなたは、何をしに行ったのですか?」と聞いた。

「私は、使徒パウロの回心の記念のために出ました。」
「パウロは何人(なにじん)でしたか?」
「ああ、ユダヤ人です。」

 ユダヤ人のための祈祷会に出た伝道者は続けて尋(たず)ねた。「集会で何を歌いましたか?」「私たちはメンデルスゾーン作曲の『使徒パウロ』という曲を歌いました。」もう一方の伝道者は答えた。「メンデルスゾーンは何人(なにじん)でしたか?」「彼はドイツ人です。」「いいや、メンデルスゾーンはユダヤ人です。私もユダヤ人で、イエス様に救われた者なのですよ。」と言いました。

 私たちは頭ではわかっているようであっても、今の時代でもユダヤ人が救われるという、神様のみ業(わざ)を信じることがなかなか出来ないものである。しかし、今日(こんにち)でも、実際にユダヤ人が救われているのだ。 (続く)

 


◎ 暗誦聖句 使徒行伝 五章二九節『 』内
人に従わんよりは神に従うべきなり。

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