◆ ロマ書の学び(262)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇八年一一月二三日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  中国人は昔から漢字の発明が巧(たく)みな民族で、意味を持つ漢字を作るのにもたけていた。最近の中国の若い人達は簡略字を使っているので、私達の教会にある聖書は読めないそうだが、昔の中国の人達は象徴的な文字を作った。

  例えば「罪」という字は、上に四を書いてその下は非(あらず)となっている。その意味するところは、前から見ても、後ろから見ても、横から見てもどこから見ても人間にはいいところがない「非(あらず)」である。これが罪という字だ。

  また「血」という字はどうか。昔の人はいけにえをささげるときに、いけにえの血を皿の上に乗(の)せた。祭壇(さいだん)に持って行く時に、平らなお皿の上に血をポトンとたらす。これが血という字になった。

  「祭」という字は、いけにえの動物の肉を切って祭壇にささげるところからできた。祭という字の下は「示(しめす)へん」だが、示すという字は神様をあらわす。上の部分の左側「夕」という字は肉をあらわし、右側の「又」は肉刺(にくさ)しを示している。「祭」という字は、人間が神々にささげたいけにえの肉を切って肉刺しで刺して神さまの所に持って行ったところからできている。「祭」という字、「血」という字を見ても、人間は古代(こだい)からこの世の中には全世界をおつくりになった創造主がいらっしゃると考えていたことがわかる。けれども自分達が知らないために、目につく動物や力の強いものを神々としてあがめ始めた。船橋に海神という所があるが、そこは海の神としてワニをあがめたという。江ノ島では、ヘビが弁天様(べんてんさま)として祭(まつ)られている。恐(おそ)ろしいものを人間は神々としてあがめてきた。

  神様は私達をつくって下さったお方であり、愛をもって私達に接して下さるお方である。私達はこの創造主である神様に、イエス様の血潮(ちしお)によって罪をきよめていただき、神様の救いを頂(いただ)くようにされた。だからこの地上にあって私達はそのことを思い起こし、「神様、私を救って下さり感謝します。」と言って、自分自身を明(あ)け渡(わた)しおささげしていく。

  最近日本で女性も男性と同じ権利を持つべきだ、と主張している人達がいる。家庭の中で男性だけが威張(いば)ってあぐらをかき、「おい、お茶!新聞!タバコ!」などというのはおかしい。女性であっても仕事から帰ったら、主人に「お茶!」と命令してもいいのではないか、という主張である。最近、私も何件か離婚(りこん)についての相談を受けているが、その時にも思うことがある。女性は男性の「助け手」としてつくられた。神様によってつくられた男性の助け手という立場である。もちろんそれは奴隷(どれい)のような助け手ではない。助け手である女性が、男性と同等の権利を持ちたい、同等にやりたいと言う。しかしそれは、必(かなら)ずしも幸福な家庭を築くものではない。女性の側が夫の助け手として家庭を守り、神様のお立てになった秩序(ちつじょ)の中で自らの最善を尽くす時に、女性にとって最高の祝福があると考えることができる。(続く)

 


◎ 暗誦聖句 ヨブ記四二章一〇節後半
しかしてエホバついにヨブの所有物(もちもの)を二倍に増したま えり

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