◆ ロマ書の学び(266)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇九年一月四日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  教会に来て、祈り、献金をささげ、賛美をするだけが礼拝ではない。毎日自分が置(お)かれたところで、神様の愛をまわりの人に証(あかし)する。身をもってそれをあらわし、自分の仕事に力を注(そそ)ぐことが霊のまことの礼拝である。これ霊(れい)の祭(まつり)なり≠ニあるのはそのような意味だ。クリスチャン一人一人が、だれもが神様の祭司(さいし)である。私達は救われた時から、イエス・キリストの祭司となる。

  皆さんにはいくつの名前があるだろうか?まず第一にクリスチャン。そしてもうひとつは祭司である。黙示録一五章六節には、すべてのクリスチャンは神の聖徒であり、神の祭司である。≠ニある。祭司の働きは、神様にお仕(つか)えすると同時に他の人のためにとりなしをすることである。まだ救われていない家族や、友人のために祈るということが祭司の働きであることを覚(おぼ)えて頂きたい。

  されば兄弟よ、われ神のもろもろの慈悲(じひ)によりて汝らに勧(すす)む、己(おの)が身を神の悦(よろこ)びたもう潔(きよ)き活(い)ける供物(そなえもの)として献(ささ)げよ、これ霊の祭なり。=@                   ロマ書一二章一節

 


本ページへの問い合わせは ruthdick@mtj.biglobe.ne.jp までお願いします。