◆ ロマ書の学び(271)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇九年二月八日号
         ▽ み言葉に生きる

 

   日本人は年を取ってくると、『私の目の黒いうちは絶対許さん。』と父親がよく口にするが、私もそう言いたい。私の目の黒いうちは絶対、偶像崇拝に妥協(だきょう)しない。No(ノウ)はNo、Yes(イエス)はYesである。神様の側か、悪魔の側かのどちらかであり、グレイ・ゾーンは絶対ない、ということを覚(おぼ)えていただきたい。さらに私たちはこの世の中の肉の思い、また、この世の流れに染(そ)まってはいけない。

  なんじら世をも世にある物をも愛すな。人もし世を愛 せば、御父を愛する愛その衷(うち)に無し。おおよそ世に あるもの、即ち肉の慾、眼の慾、所有(もちもの)の誇りなどは、 御父より出(い)ずるにあらず。世より出ずるなり。=@             第Tヨハネ二章一五、一六節

  また、私たちはこの世の流れ、ならわしに従ってはいけない。

  汝ら前には咎(とが)と罪とによりて死にたる者にして、この世の習慣に従い、空中の権を執(と)る宰(つかさ)(悪魔)、すなわち不従順の子らの中に今なお働く霊の宰にしたがいて歩めり。=@       エペソ二章一、二節

  イエス様を信じる前、私たちは、悪魔に従って歩(あゆ)んでいた。『いや、私は悪魔を崇拝していませんでした。私はまじめに生きていました。』と思われるかもしれない。しかし、神様がご覧(らん)になる時に、イエス様を信じていない人は、悪魔の手下(てした)であり、悪魔の奴隷となっている状態なのである。これははっきりわかる神様の御心(みこころ)である。

  この世の神は此等の不信者の心をくらまして、神の像(かたち)なるキリストの栄光の福音の光を照らさざらしめたり。
           コリント後四章四節

  「この世の神」というのは悪魔、サタンのことである。サタンは、私たちの心をくらまして、イエス・キリストを信じないように、従わないようにしむける。

  されど我らは成人したる者の中にて知恵を語る。これ此(こ)の世の知恵にあらず、又(また)この世の廃(すた)らんとする司(つかさ)達の知恵にあらず、我らは奥義を解(と)きて神の知恵を語る、即(すなわ)ち隠れたる知恵にして、神われらの光栄のために、世の創(はじめ)の先より預(あらか)じめ定め給いしものなり。この世の司(つかさ)には之(これ)を知る者なかりき。
              コリント前二章六〜八節

  汝らは主の日の盗人(ぬすびと)の夜きたるが如(ごと)くに来(きた)ることを、自ら詳細(つぶさ)に知ればなり。人々の平和無事なりと言うほどに、滅亡(ほろび)にわかに彼らの上に来らん、妊(はら)める婦(おんな)に産みの苦難(くるしみ)の臨(のぞ)むがごとし、必ずのがるることを得じ。
     テサロニケ前書五章二、三節

 

 


◎ 暗誦聖句 詩篇六九篇一三節A
然(しか)はあれどエホバよ我は恵(めぐみ)のときに汝にいのる=@

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