◆ ロマ書の学び(272)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇九年二月一五日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  イエス様の日、再臨の日はいつ来るか解(わか)らない。多くの聖書学者は、もう主の再臨は間近に迫っていると考えている。それは黙示録に書かれた預言の一つ一つが形をなしているからである。皆さんが冷蔵庫にゼラチンを溶かした物を入れて、固まって来たかな、まだか、じゃ戻して、というのと同じである。今、神様の時計の中で神様のお作りになろうとするゼラチンは、どんどん固まりつつある。ちょっと動かせばぶるぶるとふるえるくらい固まっているのである。あと最後の一ページだけが最後に固まる段階まで来ている。

  神様の時計を考えてほしい。私たちは誰に喜ばれる必要があるのだろうか。 使徒パウロは我今、人に喜ばれんとするか、或いは神に喜ばれんとするか。≠ニガラテヤ書一章一〇節に書いている。

  私たちの目標は人間にちやほやされることではない。私は皆さんにちやほやされるよりも、神様に喜ばれることを願っている。時には厳(きび)しいことを皆さんに言う。習志野の教会の牧師は厳しい、冷たい、と思われるかもしれない。しかし、世の中の人と同じような価値観ややり方で成功を治(おさ)めようとするなら、結局、元(もと)も子もなくなっていくのである。

  汝らは地にて奢(おご)り楽しみ、屠(ほふ)らるる日に在(あり)て尚おのが心を飽(あ)かせり。
       ヤコブ書五章五節

  この地上の楽しみだけに、身を焦(こ)がしてはならないとある。

  旧約聖書の出エジプト記二三章二節には汝(なんじ)衆(おおく)の人にしたがいて悪をなすべからず。≠ニある。

  この世の中は、「バスに乗り遅(おく)れるな。みんながやるようにやっていけばいいんだ。」と言う。しかし、みんながやる事をやって、クリスチャンはよい証(あかし)が出来るだろうか。いや、出来ないのである。聖書には、心を変(か)えて、新(あらた)にせよ、とある。人間の本当の姿、人間の一番の真実の核心(かくしん)を新たにする必要がある。。

  昔、生物学者が、トラクトを作った。醜(みにく)い毛虫がやがて姿を変(か)えて、空を飛ぶ蝶(ちょう)になる。まさに、私たちもイエス・キリストを信じる前は醜い存在であった。しかし、イエス様に身を委(ゆだ)ね、聖霊の働きに全(すべ)てを明け渡(わた)す時に、神様の側で、私たちを内側から変えてくださるのだ。多くの人たちは外側から変えようとする。私たちはこのことをロマ書で見てきたわけである。

 


◎ 暗誦聖句 詩篇四〇篇一七節

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