◆ ロマ書の学び(276)
犬との散歩は、飼い主と犬とが歩調を合わせている時は大変気分が良い。しかし、少しでもお互いのペースがあわないと、どんな危険があるかわからない。おびえたり、突然何かに興奮(こうふん)してつっぱしったり、犬同士けんかをしたりということがある。
されば兄弟よ、われ神のもろもろの慈悲(じひ)によりて汝 らに勤(すす)む、己(おの)が身を神の悦(よろこ)びたもう潔(きよ)き活(い)ける供物(そなえもの) として献(ささ)げよ、これ霊(れい)の祭(まつり)なり。また、この世に効(なら) うな。神の御意(みこころ)の善にして悦(よろこ)ぶべく、かつ全(まった)きこ とをわきまえ知らんために心を更(か)えて新(あらた)にせよ。 前回わが家で飼った犬はエネルギッシュな犬だったので、少しでも理解しようと、飼い始めてから何冊となく『犬の心』『犬の心理学』の本をよみ、外国からも数冊取り寄せて勉強した。しかし、わかったつもりでも、なかなか理解できないものである。 神様は、私たち人間の思いというものをご存知でいらっしゃる。けれども人間の側が神様になかなか従っていないことが多く、神様の御意(みこころ)を痛めることが多いのではないだろうか。
エホバ宣給(のたまわ)く、わが思いは汝らの思いと異(こと)なり、 わが道は汝らのみちと異(こと)なれり。天の地より高きがご とく、わが道は汝らの道よりも高く、わが思いは汝ら の思いよりもたかし。 イザヤ書五五章にもあるように、神様の御思いは、人間の思いをはるかにこえたお考えである。クリスチャンの信仰生活の力、また、クリスチャンの喜びの秘訣はどこにあるのか。それは、昔も今も変わることなく、神様の御意(みこころ)を知り、御意を行うクリスチャンこそ、その信仰生活の豊かな祝福に預かっているものということができる。 今までロマ書一二章二節のこの世に効(なら)うな≠ニいうことに少しポイントを置いてきた。今度は、神様の御意、すべてのものをおつくりくださった創造主(そうぞうぬし)である神様のお考えを喜ぶ、ということを学んでいきたい。 つまり、神様の御意をわきまえしることが大切である。この「わきまえしる」というギリシャ語のほんらい意味するところは、見つけ出す、それに従う、という意味である。私たちは、神様の御意をわきまえ知る、即ち、神様の御意はどういうものであるかをまずみつけることが大事である。次に、みつけただけではなくそれに従って行動する、ということが大切である。 (続く)
|