◆ ロマ書の学び(277)
キャンプなどでよくするゲームに「オリエンテーリング」がある。指定の場所に行くと、木の枝に指示が書いてあり、その指示書に従って行くと、今度は、角の石の上に何かがあるからそれを読みなさい、という次の指示がある。次の地点へ行くと、今度は角を曲がって右側にあるポールの所の指示に従いなさい、というものである。このようなゲームであっても、指示に従って行動しなければならない。まず、指示書を見つけ出し、指示に従って行動することが大切である。神様の御意も同じである。 神の御意(みこころ)の善にして悦ぶべく、かつ全(まった)きことをわき まえ知らんために、心を更(か)えて新(あらた)にせよ。 ロマ書一二章二節 昔、私たちが子供の頃の運動会では、借り物競走という競技があった。「ヨーイ、ドン!」で走って行くと途中に紙が置いてある。そこには、お弁当箱に何々をもらって来なさいとか、お父さんの靴を片方借りて来なさいとか、いろいろ指示が書いてある。その指示通りに行動しなければ、どんなに早くテープを切ってゴールしても失格となる。 クリスチャンにとって、神様の御意(みこころ)を見出(みいだ)すということは第一に大切なことであり、それを見つけたならばそれに従って行動することがたいへん大事である。 「クリスチャンになると堅苦(かたくる)しい。」「信仰生活は何か縛(しば)られてイヤだ。」と他の人が言うのを聞いたりするかもしれない。はたして、私たちクリスチャンの信仰というものは、そんなにがんじがらめに私たちの人生をしばりつけるものだろうか。 規律正しく生活し几帳面に行動できるようにしばりつけるという点では、ボーイ・スカウトや、ガール・スカウト、または様々な部活動に所属する方が、教会生活よりもはるかに厳しい規律や戒律、規則があって皆さんをしばると思う。 アフガニスタンのアルカイダ。イスラム教の神学生達はけっきょく自分たちがマインド・コントロールされている。自分たち一人ではなく、貧しい中にあってみんなが同じように規制をされるということに、喜びを見いだして行った。しかも、それは「テロ」「大量無差別殺人」という間違った結果を生みだした。神様は私たち人間に対して、がんじがらめにするような信仰の規制、束縛を与えようとなさっていらっしゃるわけではない、ということを覚えていただきたい。 (続く)
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