◆ ロマ書の学び(278)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇九年三月二九日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  私が教会に通い出したのは高校一年の時なので、もう長い年月を経てきた。はじめは「クリスチャンになるとあれも出来ない、これも出来ない。」「やるな、やるな。」「Don,t」(ドント)という言葉だらけで、自分は自由がなくなる、と思っていた。だから、はじめは教会の外側から、窓から中をのぞくようにしてなかなか中に入り込もうとしなかった。しかし、窓からのぞき込むような状態の信仰の求め方では、本当の意味で内側にいる人たちの喜びや感動を味わうことはできない。どのような願い、祈りの課題であっても、神様は、あなたの望む港へあなたを導く、と約束してくださっている。

  かくてエホバはかれらをその望むところの湊(みなと)にみちびきたもう=@        詩篇一〇七篇三〇節

   大洋を航海(こうかい)する人たちは、必ずコンパスを使い、自分が今どの辺を航海しているかを海図を見ながらチェックし舵(かじ)を取っている。夜になると、空が晴れていれば星空の動きを見つめて、自分が今どこに向かっているか舵(かじ)取りを決(き)めてゆく。

  人生五〇年と言われて久(ひさ)しくなるが、今では平均寿命(じゅみょう)も伸び、一〇〇歳を越(こ)える日本人が一万人を越えるという、たいへんな長寿国(ちょうじゅこく)になっている。

  しかし、人生が長ければそれで幸せかというと、必ずしもそうではない。そこに目的、生きることの喜び、生き甲斐(がい)というものがなければ、どうであろうか。

  もし、ただ生きながらえるだけの人生であるとするならば、たいへんみじめな人生と言わなければならないだろう。私たちは、もっと神様と神様のことがらに心を集中しなければならない。

  神様の御心(みこころ)をロマ書から学ぶとすれば、まず第一に、「良い物」「善(ぜん)」である。富んでいる、しかも大変豊かなものである。そして神様の御心(みこころ)は、善である。

  第二番目には「喜ぶべきもの」である。あなたにとって神様の御心(みこころ)はたいへん心地(ここち)よく、満足感をもたらし、あなたが本当にそれを喜ぶことができるものである。

  第三番目に神様の御心(みこころ)は「完全」である。そこには一つの間違いもない。そして完璧(かんぺき)な姿で、あなたの生涯(しょうがい)に必要なものを備(そな)えてくださる。そしてそれは、何一つ欠けるところがない。

   もし、あなたが神様の御心(みこころ)の中を歩むなら、その生涯はどこから見ても、自分にとってたいへん益(えき)となる豊かな生活をもたらし、物質的なこと以上に心の面で満足感を味わわせて頂けるのだ。そして神様の御手(みて)を信じて、喜ぶことができるのである。絶対まちがいのない、神様の御心(みこころ)であると確信できるならば、この世の中にあってあなたは勝利者となることができる。 (続く) 

 


◎ 暗誦聖句  マルコ伝八章二九節
ペテロ答えて言う『なんじはキリストなり。』

本ページへの問い合わせは ruthdick@mtj.biglobe.ne.jp までお願いします。