◆ ロマ書の学び(280)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇九年四月一九日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  エホバを喜ぶ事は、汝らの力なるぞかし。
              ネヘミヤ記八章一〇節

  新改訳では、あなたがたの力を主が喜ばれるからだ≠ニなっているが、文語体、あるいは、キング・ジェームズ訳で書いてあるエホバの力を喜ぶ事は汝らの力なるぞかし。≠ニいう方が、聖書全体の教えにマッチすると思う。なぜならば、神様は人間の力の弱さをよくご存じだからである。聖書には人の齢(よわい)は草の如(ごと)く≠ニ書かれている。人間の命というものは、その辺にいっぱい生えている、雑草や草のようにはかないものであると聖書の中に度々書いてある。だから、そんな人間の有(あ)るか無(な)しかの力を神様が喜ばれるというよりも、神様を喜ぶことはあなたの力ですよ、という方が明らかに聖書全体の教えであると言えよう。

  ある伝道者は、神様はあなたの力を喜ばれるというので、毎週のように訪問だ、あるいは伝道に行け、と叱咤激励(しったげきれい)していた。でもその結果は、あっという間に崩れた。その教会の人達は数年後「この牧師には、ついていけない。自分たちは、へとへとに疲れた。」と行って教会を去って行った。

  やはり神様は、私たちが経験的にも力がないことをご存じである。全知全能の神様を讃(たた)え、その神様の御心(みこころ)を喜ぶならば、私たちはどのような困難にも耐える力が与えられる、という方が正当ではないかと思う。

  イエス様が弟子達に、祈るときには、こう祈りなさいとお教えになった祈りがある。その祈りの模範の中に「御意の天の如く、地にも行われんことを。御国の来たらんことを。」という文面がある。「御意の天の如く地にも行われんことを。」とは、天において神様の御心(みこころ)が完全に行われているように、この地上においても神様の御心(みこころ)が行われますように、と求めなさいとイエス様はおっしゃっている、ということである。

  では神様の御心(みこころ)を行う人とは、どういう人のことであろうか。あなたのクラスのお友達だろうか、会社の同僚、すぐ隣近所の未信者の家庭の人だろうか。神様の御心(みこころ)を行う人とは、神様によって救われた私たちクリスチャンのことであり、イエス様を神様であると信じる人たちが神様の御心(みこころ)を行うのである。 「神様の御心(みこころ)が行われるように、どうぞ私をお使い下さい。」という祈りが、日々の祈りでなければならない。

 

 


◎ 暗誦聖句 ヨハネ伝二〇章二一節「 」内

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