◆ ロマ書の学び(282)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇八年五月三日号
         ▽ み言葉に生きる

 

 

汝はわが神なり われに聖旨(みむね)をおこなうことをおしえたまえ
        詩篇一四三篇一〇節  

  神様、どうかあなたの御心を行うことを教えてください、という聖句だ。神様の御心はそんなにすばらしく良いものであり、私たちに祝福をもたらすとするならば自然に私たちがそれを行うことが出来るはずだと考える。しかし、そこには大変強い敵が待ち受けている。この世を支配する悪魔が皆さんの心を引っ張ろうとする。「誰もそんなことやっていないよ。そんなことやったら、おまえは人気がなくなるぞ。」とか「親からにらまれるぞ。」とか「そんなことやっていたら会社はつぶれるぞ。」とか、いろいろなことを心にささやくのだ。  

  人間の良心と言うものはどんなに弱いか。私たちは嫌(いや)というほど耳にしている。狂牛病に関連して肉の表示ラベルを取り替えたという有名な食品メーカーの人の話を思いおこす。はじめ、上司が偽表示の商品を売ろうとしたときに、そんなことをしたら大変だと、部下はみんな反対した。けれども彼らの良心の叫びは、そこで終わってしまい、会社が大変な状況で利益を得(え)るためには、しょうがないということで、上司に促されて部下はイヤイヤそれに従って、ラベルを貼り替え、梱包をやり直しした。その結果、一時的なもうけ以上にはるかに大きな打撃を受け、会社存続さえ出来ない状況におちいった。もしあそこに一人でも、クリスチャンの良心を持つ者がいたならば、会社の壊滅的な打撃を防ぐことができたに違いない。クリスチャンの神様に従う思いは、それほど大きな戦いに出会う時もある。  

  神様はあなたをクリスチャンの少ない日本において、罪の世界から引き出してくださった。たしかに、あなた一人の力では社会の悪を止めることはできないだろう。会社の悪い運営方針を止めることはできないかもしれない。でも、あなたの神様に従っていこうとする、その良心、思いは、地の塩としての働きをあらわし、会社を壊滅的(かいめつてき)な打撃(だげき)から救い出すきっかけとなりうるのである。「みんながやるから。」たとえ自分だけでも「みんな」という言葉を日本人はよく使う。「みんな」ではなく「私」はイエス様に従っていく、と言うべきである。「神様の御心に従っていきます。」「神様の善と正義と公平さに従っていきます。」「明記された神様の基準に従っていきます。」といって行うなら、必ずあなたのいる職場は明るくなる。あなたのいる職場は、順調に成長していくはずである。  

  「牧師は働いていないからわからないのだ。」と言わないでほしい。これは、神様のお約束であり、聖書に出てくる人物達も証明しているからである。  

 

 


◎ 暗誦聖句 ヨハネ二二章二九節「 」内

本ページへの問い合わせは ruthdick@mtj.biglobe.ne.jp までお願いします。