◆ ロマ書の学び(284)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇八年五月一七日号
         ▽ み言葉に生きる

 

 

  スーパーやコンビニで買い物をするとき、賞味期限を見て購入する方も多いのではないだろうか。賞味期限と消費期限は違う。賞味期限までは味の保障をするが、それを過ぎたら最良の味は保障できませんよ、という意味である。私も何度か失敗した。有名なチョコレートをいただき、大切に冷蔵庫に入れておいたところ、白くなってしまった。特別にいただいた物だから、と食べてみたが味が変化しておいしくなくなっていた。消費期限と違い、賞味期限を過ぎてもまだ食べられるが、本来の「良い時期」は失われてしまう。ましてや、神様の御心はそのタイミングを外せば、良かった物も悪くなってしまうのである。物事にはタイミングというものがあるので、良い時期を失わないように、すぐ行動する必要がある。

  聖書には、朝早く起きて隣人を祝福するならばそれは呪いと聞こえる、とある。明け方の三時、あるいは三時半に「この家に祝福がありますように。」と隣の家に向かって叫んだら喜ばれるだろうか。かえって水をかけられるのがオチである。タイミングをはずしてはいけない。神様の御心をいつ行うか。神様は、いつ行うべきかというタイミングも、ちゃんと教えてくださる。

  最近はあまり聞かないが、以前はよく「T.P.O.」ということばが使われた。時と場所と状況を考えて行動しなさい、ということである。いつそれを行うべきか、タイミングを考えて毎日の生活の中で神様に従っていかねばならない。また自分の命(いのち)を、これは私の命だから自分の自由にできるもの、自分の生活だ、と思ってはいけないと聖書は教えている。

  ヤコブも主の御心について書いている。

  汝等(なんじら)その言うところに易(か)えて『主の御意(みこころ)ならば、 我ら活(い)きて このこと、あるいは かのことをなさん』 と言うべきなり。
      ヤコブ書四章一五節

  「主の御意ならば。」という言葉を聞くと、以前、千城台で伝道しておられたカール・サップ宣教師を思い出す。サップ先生は自動車に乗る時にはいつも、ハンドルを持つなり、すっと頭を下げて祈っていた。ちょっと大久保駅に行く時でも、必ず祈っていた。はじめの頃は、「ずいぶん時間がかかるなあ。だいぶ遠くまで行くのかなあ。」と思っていたのだが、先生はいつも祈っていたのである。このサップ先生の口癖は「主の御心ならば。」という言葉であった。この先生に何か用事をお願いすると、いつも「いいですよ。喜んでやります。主の御心ならば。」と返事を受けた。今、先生は、アラスカの大学で、学生達に聖書や創造論を教えたりしている。まさに主の御心ならば、ということをサップ先生から教えられた感じがする。           (続く)

 

 


◎ 暗誦聖句  マタイ伝一一書二八節
凡て労(ろう)する者・重荷を負(お)う者、われに来たれ。われ汝らを休ません。

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