◆ ロマ書の学び(291)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇九年七月五日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  なんじらキリスト・イエスの心を心とせよ。                 ピリピ書二章五節 イエス様は、天のみくらを下(くだ)ってこられ、もっとも卑(いや)しむべき所にお生まれになられた。そして十字架の死に至るまで従順に従われた。イエス様は、神様から与えられた責任を黙々(もくもく)と成し遂(と)げられたのである。

  私たちはイエス様の生涯を学んでいるが、イエス様のように生きることはたいへん難しい。しかし、神様から与えられた責任、ご奉仕をするチャンスを最善を尽(つ)くして全(まっと)うする努力はできるのではないだろうか。私たちもイエス様にならって、謙遜な謙(へりくだ)った心で神様から与えられた時間や才能をおささげしよう。

  家族が「お料理おいしかった。」と喜ぶと、お母さんはもっと料理を研究すると思う。布団(ふとん)をしいたりたたんだりするのが好きな人、お掃除、字を書くこと、ピアノやオルガンなどの楽器をいじるのが好きな人、どれも才能である。みなさんそれぞれに裁縫や料理が好きな人、あるいは計算が好きという人など、神様から与えられた才能だと思っていただきたい。もちろん、この中には大工道具をそろえて、いろいろなものを作るのが好きな人もいる。看板を作ったり、おもちゃを作ったりする人もいる。

  人は一つ体(からだ)におおくの肢(えだ)あれども、凡(すべ)ての肢(えだ)そ の運用(はたらき)を同じうせぬごとく
  ロマ書一二章四節

  どんな仕事でも、上手(じょうず)にあるいは、おいしく作るコツが必ずある。私は小さい頃、「道を歩いていて、鋳掛(いかけ)やを見たら、絶対素通りするな。もし時間が許されるならば、じっと見て、仕事をやっていく順序、やり方を見ろ。盗み見て、コツを盗め。」とよく父親に言われた。

  鋳掛(いかけ)や、陶芸師やいろいろな才能を持つトップクラスの人は「私は、教えない。あなたが私から芸を盗みなさい。」と昔から言っている。他人がよい才能を持っているのを観察し、学んでいく。なぜそうするのだろうか。 神様の宮が他の人に汚されたり、蔑まれたりすることがないためである。

  もし、この教会に人が入ってきて、中がゴミだらけであったり、トイレの手ぬぐいがよれよれで垢(あか)だらけだったりしたら、いっぺんにこの教会の証はつぶれるだろう。ときどき教会に「トイレを貸してください。」という人が来る。教会のトイレが暗い、汚い、臭いの三Kであれば、この教会の証はなくなる。

  みんなが一番嫌(いや)がるところをきれいにすることが、実はクリスチャンの証なのである。    (続く)

 

◎ 暗誦聖句 マタイ伝十一章六節
おおよそ我(われ)に躓(つまづ)かぬ者は幸福(さいわい)なり

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