◆ ロマ書の学び(293)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇九年七月一九日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  ・・・思うべき所(ところ)を超(こ)えて自己(みずから)を高(たか)しとすな。神のおのおのに分(わか)ち給(たま)いし信仰(しんこう)の量(はかり)にしたがい慎(つつし)みて思(おも)うべし。
        ロマ書一二章三節

  新会堂が完成後、教会の台所がいつまでたっても片づかず困っていた。あるご夫婦が奉仕に来てくださり、一日がかりで、何がどこにあるか名前を書いて貼ってくださり、私たちが考えつかないような方法で整理してくださった。あれこそ才能だと思った。

  人は一つ体(からだ)におおくの肢(えだ)あれども、凡(すべ)ての肢(えだ)その運用(はたらき)を同じうせぬごとく、我らも多くあれど、キリストに在(あ)りて一つ体にして各人(おのおの)たがいに肢(えだ)たるなり。われらが有(も)てる賜物(たまもの)はおのおの与えられし恩恵(めぐみ)によりて異(こと)なる故(ゆえ)に・・・。
 ロマ書一二章四節〜六節

  他の人の才能をうらやむよりも、自分が今、神様によって与えられていることを育てよう。才能は人に誉(ほ)められないとわからないという。誰かにほめられたら、それはあなたの才能なのである。神様は公平なお方である。一〇〇人いれば一〇〇人、一〇〇〇人いれば一〇〇〇人。一万人いれば一万人、全部の人に、ちゃんとその人だけの才能を与えていらっしゃる。あなたにも驚くべき才能を与えていらっしゃる。「これだけは負けない。」というものをあなたは持っている。ただ、気がついていないのではないだろうか。

  たとえば、子供をあやすことが上手でも、保母さんにでもならなければ一銭にもならないと考えるかもしれない。しかし、それは才能である。子供をあやすのがたいへん上手(じょうず)な人は、日曜日に教会で泣く子をあやしながら静かに礼拝に参加させることができるだろう。だから、やはりこれも才能であろう。

  どんなことでも神様はあなたに、あなたでなければできない仕事を与えていらっしゃる。その才能を神様の御栄(みさか)えのために使いなさい。とおっしゃるのだ。しかも、神様から与えられた才能を自分だけが楽しむのではなく、神様の御用(ごよう)のために用いて、ベストを尽くしなさい、とおっしゃる。「私は出番がくるまで待ちます。」ではない。毎日の教会生活があなたの出番なのである。教会の雑用を一手(いって)に引き受けて下さる人がいれば大助かりである。牧師夫妻には、大切な御用がある。キリストの体を構成する一人として、あなたが神様に与えられた力を神様の御用のためにささげていただきたい。

  己(おの)が身を神の悦(よろこ)びたもう潔(きよ)き活(い)ける供物(そなえもの)として献(ささ)げよ。
      ロマ書一二章一節 (続)

 

 

◎ 暗誦聖句 詩篇九二篇一三節
エホバの宮にうえられしものはわれらの神の大庭(おおにわ)にさかえん

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