◆ ロマ書の学び(295)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇九年八月九日号
         ▽ み言葉に生きる

 

 

・・・思うべき所(ところ)を超(こ)えて自己(みずから)を高(たか)しとすな。神のおのおのに分(わか)ち給(たま)いし信仰(しんこう)の量(はかり)にしたがい慎(つつし)みて思(おも)うべし。人は一つ体(からだ)におおくの肢(えだ)あれども、凡(すべ)ての肢(えだ)その運用(はたらき)を同じうせぬごとく、我らも多くあれど、キリストに在(あ)りて一つ体にして各人(おのおの)たがいに肢たるなり。われらが有(も)てる賜物(たまもの)はおのおの与えられし恩恵(めぐみ)によりて異(こと)なる・・・。=@      ロマ書一二章三〜六節

  入学したての学生達が「せまい」「きびしい」と文句を言うと、総長(=ボッブ・ジョウンズ一世)は、「神様の御手(みて)の中にあって、あなたは何の名前も、功績(こうせき)も無(な)い、ただの罪人の一人にすぎない。私たちはどんな才能があっても、どんな有名な人物であっても、神様の御前(みまえ)にあってへりくだり、イエス・キリストの心を心とするへりくだった人間でなければ、教会を構成できない。」とくりかえしくりかえし、学生に強調された。

  「お互いに他の人を自分よりも優(すぐ)れたものとしなさい。」とパウロはくりかえし書いた。「お互いが、他の人の持っている才能を尊(とうと)び、その才能によって私たちが助けられているのだと思いなさい。そうするなら、教会は、批判とか誰かの噂(うわさ)をしたり中傷(ちゅうしょう)したりするのではなく、本当に神様を呼び求める愛の交わりの場になるであろう。」と、使徒パウロはロマ書一二章三節から八節において、訴えている。また、コリント前書一二章一二節から三一節でも、同じように書いている。

  どうか神様に与えられたあなたの才能に、磨(みが)きに磨きをかけていただきたい。「習志野バプテスト教会に行くと、ものすごい人材がそろっているぞ。」と言われるぐらい、神様にそれをささげていただきたい。それはとりもなおさずイエス・キリストの御名(みな)が、この不信仰な堕落(だらく)した世界にあって燈台(とうだい)としての明かりを輝(かがや)かす結果となるのである。

  皆さんがそうして誠心誠意(せいしんせいい)、自分に与えられたタレント(=才能)をいかすならば、未信者だけの職場にあってもあなたは必ず人々から信頼される存在となると思う。それがまた証になる。そうでなければ、皆さんは職場のお友達を教会に誘(さそ)うことができない。あなたが他の未信者に信頼されず、未信者があなたの生活を見て「教会に行ったって、あなたのようならば、やめだよ。」となるだろう。キリストにならう日々をめざして歩もう。

  神は預(あらか)じめ知りたもう者を御子(みこ)の像(かたち)に象(かたど)らせんと て預(あらか)じめ定(さだ)め給(たま)えり。これ多くの兄弟のうちに、御 子を嫡子(ちゃくし)たらせんが為(ため)なり<鴻}書八章二九節(続)

 

 


本ページへの問い合わせは ruthdick@mtj.biglobe.ne.jp までお願いします。