◆ ロマ書の学び(299)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇九年九月一三日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  愛には虚偽(いつわり)あらざれ、悪はにくみ、善は親しみ、 兄弟の愛をもて互いに愛(いつく)しみ礼儀をもて相譲(あいゆず)り=@         
   ロマ書一二章九〜一〇節

  「忙しい時代に手間ばかりかかってしょうがない」と言うかもしれない。しかし、ほんの一行か二行でよいので相手の状況を気遣うことが大事である。電子メイルはいつでも夜中でも送ることができ、相手もいつでも開くことができて便利である。であるならばなおさらのこと、相手の状況に対して心遣いをするということがとても大切になると思う。

  私も、時代に乗り遅れないように、二、三年に一回ずつ、ビジネスの世界における手紙の書き方、エチケットの本を買って読んで勉強する。また、Eメイルやファックスがたくさんくるため、アメリカや海外とのやりとりを頻繁(ひんぱん)に行っている。その際に、忙しい先生達ほど実はたいへん細かな心遣いをなさるものだと感心する。

  Eメイルなりファックスなり、挨拶のはじめと終わりには、しっかりと「あなたのために、また○○さんのために祈っています。」と、妻や松山夫妻まで一人一人の名前を書き添えて下さっており、びっくりするのである。そういう先生方のEメイル、ファックスを読むたびに忙しい伝道者、宣教師ほど、実は細かな配慮をなさるのだなあといつも感心するのである。

  それにひきかえ、今の日本人はどうだろう。かつて礼儀作法が正しく行われたという民族の誇りはどこかへ行ってしまったようだ。大変ぶっきらぼうな、またエチケットにはずれるような手紙が多く行(い)き交(か)っている。

  このことはクリスチャンとして、クリスチャン同士のやりとりの中においても、特に心を用いなければならない点だと思う。手紙やEメールの書き方においても、相手のクリスチャンはどういう人間なのか、その人はどういう信仰を持っているのかを実はいつもはかられているということを覚えていただきたい。

  書道を習った人はよく聞いたと思うが、昔から「字はその人の人格を表す」という。その人の書いた字を見ればその人がどんな人間であるかがわかる、というのだ。右上がりの字を書く人はどうだ、右下がりの人はどうのこうの・・・と、習字の先生に字を見られては言われ、姿勢、筆の持ち方、字の力の入れ方を教わったことだろう。ところがEメイルは全然そういうこととは関係ない。Eメイルを使うな、新しい通信手段を使うな、と言っているのではない。人間関係について言っているのである。

 

 

◎ 暗誦聖句 使徒行伝一六章三一節「」内
主イエスを信ぜよ、さらば汝も汝の家族も救われん。=@

 

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